三月。春寒・沈丁花・猫の恋の季語が浮かんできます。「菜の花や地曳旦那の屋敷跡」の句を片貝西ノ下にあった中西薬局の主人中西月華の句集で見ました。九十九里浜ならではの句です。
多古町の年配の方の賀状に「歳々年々人同じからず、村も家々もすっかり変わりました」の文言。古稀を過ぎた私も同感です。「伊豆下田遊覧」の古い記念写真を見ていましたら子供の頃を思い出しました。写真は下貝塚納屋区の皆さんです。聚楽ホテルの宴会席。背後の看板は「歓迎貝塚納屋御一行様」でしょうか。暫く見ていますと声を掛けたくなりました。ドバヤのおっかさん、マツエンドンのおとっつあん、マンキオケのおっかさんなどなど。また、ヒラカのおば(婆)さんも見えます。祖父や祖母、爺婆は「オズさん・オバさん」と呼びました。中年を指す小父さん・小母さんと区別して年寄りはズやバにアクセントを置いて呼んだのです。皆さんの顔を見ますと、苗字では無く日常使っていた屋号が口をついて出てきます。ドバヤ(小島)のおっかさんは、私の家へ来る時は必ず「ねーさん、いたー」と尋ねるように声を掛けてきました。その声が今でも頭に残っています。トウキョヤ(石関)・アメヤ(齊藤)・ゲンゾドン(佐久間)・カッツァヤ(秋葉)・ミノヤ(今関)・ジンザドン(石橋)・バンバ(鳥山)。屋号は村の家々の歴史を語っています。
(九十九里町文化財審議会委員 齊藤 功)
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