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曽我観音 山桑を歩く~匝瑳探訪 No.209

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千葉県匝瑳市

今月下旬、山桑(匝瑳地区)医光院で曽我観音三十三年本御開帳が行われます。この像は聖観世音(しょうかんぜおん)菩薩で「匝瑳郡誌」(大正10年刊)に、「曽我兄弟の守り本尊をこの像の首に納めたことから、首籠(こ)もりの観音」と呼ばれたとあります。同書にはこの他、山桑村に移り住んだとされる鬼王家や虎御前など曽我兄弟の仇(あだ)討ちに関する話も載っています。
曽我兄弟の仇討ちは、1192年(鎌倉時代)に現在の静岡県富士宮市で発生し、日本三大仇討ちの一つとされます。江戸時代になると、歌舞伎や浄瑠璃などで演じられ、全国的に知られるようになったといいます。
旧八日市場市の歴史を調べていた時、1750年代に書かれた椿の海干拓などをまとめた史料の中に、鬼王家について書かれた興味深いものを目にしました。
「匝瑳郡生尾に鬼王家ゆかりの寺がある」という記述でした。正しくは山桑村ですが、「オイヲ」の地名と「オニオウ」とを結び付けたもので、これが曽我兄弟の墓に影響を与えたとも考えられます。曽我兄弟に関する墓所・祠や虎御前の伝承は全国的に点在するとされ、市内山桑医光院でもこれらがそろっており「曽我物(そがもの)」がこの地域にも伝わっていたのでしょう。
曽我観音に関する「略縁起(りゃくえんぎ)」の書かれた版木も残ることから、おそらく医光院参拝者に配られたのでしょう。内容は山桑村の起こりから観音像の由来、そのご利益などです。医光院は寺名などから薬師如来を信仰する寺(薬師堂)で、棟札(むなふだ)などから1646(正保3)年ごろから諸堂、諸仏が整えられたことが知られます。
三十三年本御開帳は、文字通り三十三年に一度の行事で、前回は1989(平成元)年、本堂新築の年でもありました。
匝瑳市指定文化財でもある曽我観音を直接拝観でき、仏縁を結ぶ機会ともなるでしょう。
(市文化財審議会委員・依知川雅一)

問合せ:秘書課広報広聴班
【電話】73-0080

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