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匝瑳探訪 No.211

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千葉県匝瑳市

■多田屋活版所―八日市場を歩く
昨年12月に閉店した多田屋八日市場本店所蔵の「タダヤ能勢」の法被(はっぴ)や看板、店内の写真などが今年の夏、千葉市立郷土博物館の企画展「商人たちの選択」に展示されました。
展示物の中では、1908(明治41)年10月発行の短歌誌『阿羅々木(あららぎ)』創刊号、翌年1月の第2号、同年4月の第3号の1巻3冊(山武市歴史民俗資料館所蔵)を初めて目にすることができました。
これらは、当時の福岡町(町名は後に八日市場町となる)の「多田屋活版所」で印刷されました。『千葉県の歴史』(通史編近現代1)によると、東金多田屋(東金市)は1872(明治5)年の学制発布に伴って小学校が設置されると、千葉県下の教科書販売や書籍販売など書店の基礎を固めたとされます。福岡町に書籍と洋物を扱い、印刷所も兼ねた「多田屋支店」を開設したのは1893(明治26)年のこととされます。
活版所は、店舗東側の多田屋洋品部の場所にあり、閉鎖後は敷地内に移築され、今回の解体前まで倉庫として使用されていました。
大正から昭和前期ごろに撮影されたとみられる活版所の写真には、手前に活版の活字棚があり、輪転機や裁断機などを操作する社員が写っています。奥には名刺や年賀はがき印刷受注の宣伝ビラが掛かっていて年末に撮影されたようです。
『阿羅々木』は1908(明治41)年9月、伊藤左千夫(現在の山武市殿台生まれ)と蕨(わらび)真一郞(現在の山武市埴谷生まれ)が呼び掛けた「正岡子規七周忌歌会」の席で雑誌発行が決められ、翌月に第1号が出版されました。左千夫の東京移転により誌名を『アララギ』と変え、1909(明治42年)年9月から月刊として刊行されました。
多田屋活版所では1年間、3冊の印刷にとどまりましたが、記念すべき創刊号の足跡が残されました。
(市文化財審議会委員・依知川雅一)

問合せ:秘書課広報広聴班
【電話】73-0080

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