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戦跡めぐり 東小笹を歩く~匝瑳探訪 No.207

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千葉県匝瑳市

終戦から78年目の夏を迎えます。6月にあるサークルの「戦跡めぐり」に同行しました。市内では春海に残る旧海軍香取航空基地内の航空機を格納した2基の掩体壕(えんたいごう)にその名残をとどめます。
香取航空基地は1938(昭和13)年に建設計画が明らかになり、同17年に完成、終戦とともに施設が撤去されました。基地跡には同51年に慰霊塔がまつられ、慰霊祭が行われてきました。
続いて巡ったのは、東小笹・慈眼寺境内の慰霊碑でした。碑には、「1945(昭和20)年2月16日早朝、米国機動部隊が房総沖に出現した際、香取航空基地の新指令部偵察機が索敵飛行中、八日市場上空で米国の艦載機グラマン40数機と遭遇、単機よく交戦したが左エンジンに被弾、東小笹地内に自爆散華したものである」と戦死者の最後の様子が刻まれています。その2人は福島県相馬市出身の陸軍少佐と北海道釧路市出身の陸軍大尉でした。没後29年経た1974(昭和49)年2月16日に遺族による碑の建立があり、東小笹の他の戦没者慰霊塔と並んで立っています。
この年の2月、本州から初めて神風特攻隊が激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)へ出撃したとされます。
市内にはもう1基戦没者供養塔が安久山・圓静寺境内で確認されています。1939(昭和14)年11月25日に安久山の畑に墜落死した静岡市と福岡県久留米市出身の2人の陸軍中尉の供養塔です。墜落の様子を目撃した村の人たちに対し強い箝口令(かんこうれい)が敷かれた、と地域の人から聞きました。
供養塔は1941(昭和16)年9月20日に「飯高村銃後奉公会」が立てました。銃後奉公会は同14年に全国一律に市町村単位で各種の軍人援護団体を統一して組織されたとされます。
「戦跡めぐり」の参加者は基地跡の慰霊塔と慈眼寺の供養碑に香を手向け、不戦の誓いを新たにしました。
(市文化財審議会委員・依知川雅一)

問合せ:秘書課広報広聴班
【電話】73-0080

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