■「漁夫久八」 第212話 生稲謹爾(いくいなきんじ)
漁夫・久八は秋刀魚の漁場として知られる平舘の生まれでした。けれども家が貧しかったため、そこの村の藤兵衛という家に雇われる身となりました。
若くして雇われた久八は長ずるがままに、船頭となり、日々その漁業を怠らなかったのです。しかし、天明四(一七八四)年の冬十一月八日は、海に死なねばならぬ久八の身の運命だったのです。
その日の十一月八日は、いつものごとく、秋刀魚漁のために櫓歌(ろうた)いさましく、沖合はるかに船出したのですが、暴風雨にあい、藤兵衛の船が難波してしまいました。
この時、けなげな久八は先ず主の息子の藤吉を負うて、猛り狂おう怒涛のなかを目ざましく上陸せしめ、なお乗り組める五人の若者を救おうと試みましたが、限りある力は尽き、とうとう波の間に深く巻かれてしまいました。
超えて六年五月、領主松平左金吾は、その殊勝なる振舞いに感じられて、彰碑を建てました。
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