■市指定史跡
『井上杉長(いのうえさんちょう)の墓(はか)』
所在地:千倉町久保(くぼ)76(千倉地区)
所有者:個人
□二足のわらじをはく房州随一の文化人の墓
千倉町久保の雲龍寺(うんりゅうじ)境内には、江戸時代後期の医者で俳人(はいじん)の井上杉長(1770~1828)の墓があります。
久保村に生まれた杉長は、26歳で家督(かとく)を継ぐと、地元産の薬草を活用して医業を始め、難病も治療する優秀な医者として活躍しました。一方で、俳句でも才能を発揮し、江戸や諸国の俳人と広く親交していました。同時代の代表的な俳人・小林一茶(こばやしいっさ)(1763~1828)も房総旅行の際、杉長の家に宿泊を2回しています。
また、千倉に白河藩(しらかわはん)(福島県にあった藩)が警備する外国船監視の番所が設置されていた縁で、杉長は42歳で家督を娘婿(むすめむこ)に譲ると、白河藩主で元幕府老中(ろうじゅう)の松平定信(まつだいらさだのぶ)(1759~1829)に侍医(じい)として召し抱えられました。学問を好んだ定信は、優れた医術と俳人としての素養を兼ね備えた杉長を厚遇したといいます。のちに松平家が伊勢国桑名(いせのくにくわな)(現在の三重県桑名市)へ転封(てんぽう)されると、杉長も同行し、同地で亡くなりました。雲龍寺にある墓は、後世に子孫が桑名から故郷へ移したものです。
□公開
・常時公開
・トイレあり/駐車場あり(大型車進入不可)
*マナーを守って楽しく見学しましょう。
*見学する時は、所有者・管理者の指示に必ず従ってください。
問合せ:教育委員会生涯学習課
【電話】46-2963
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