■兵器の近代化-発見されたミニエー銃
昨年、市内の民家に残されていた槍(やり)、日本刀、火縄銃とともにミニエー銃が市に寄贈されました。火縄銃、ミニエー銃ともに古式銃砲に分類されており、火縄銃は15世紀前半にヨーロッパで発明され、日本では天文12(1543)年に種子島にもたらされた「鉄砲」として知られています。ミニエー銃は1846年にフランス軍により完成された前装式ライフル銃で、この銃に使用する弾丸が、フランス陸軍のミニエー大尉により発明されたことから、ミニエー銃と名が付いたといわれています。それまでの前装式ライフル銃に比べて、飛距離と命中精度が上がり、装弾が容易になったため、連射能力も向上しました。また、弾頭が回転しながら体に食い込むため、従来の弾丸より銃創に感染症や壊疽(えそ)を発生させ、予後の悪化の要因となりました。1850年代中ごろにフランスやイギリスなどで実戦に配備されました。
日本では、江戸幕府が幕末の元治元(1864)年にオランダ製ライフル・マスケットを採用しましたが、ミニエー銃は文久3(1863)年ごろから多数輸入され、諸藩も銃を購入して運用したといわれています。嘉永6(1853)年の黒船来航から明治維新の時期は、日本は大きな変換点を迎え近代化が始まりましたが、兵器も例外ではありませんでした。寄贈されたミニエー銃は銃身が138cmで、銃床には補修の跡があります。市内に伝わった経緯は不明ですが、江戸から離れた印西市域でも幕末から明治維新期の不安定な状況下で、銃を備える必要があったことを示す貴重な資料だと思われます。
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