■香取海(かとりのうみ)
香取海は中世まで存在した関東平野東部に太平洋から入り込んだ内海(うちうみ)で、香取神宮の目前に広がり、さらに西の内陸方向へ延びていたものを指します。手賀沼や印旛沼も、かつてはこの香取海の一部でした。古文書には内海、流海(ながれうみ)、浪逆海(なみさかのうみ)などの名で現わされています。貝塚や古墳などの遺跡も多く分布し、内海を中心とした文化圏が存在したことを示しています。
近世になると江戸湾(東京湾)に注いでいた利根川は、江戸幕府によって銚子方面に流路が付け替えられ、利根川下流域の干拓が進められて現在の形が形成されました。利根川には、那須(なす)連峰を水源とする鬼怒川や小貝川をはじめとする無数の河川が流れ、菅生沼(すがおぬま)・牛久沼(うしくぬま)・手賀沼・印旛沼・霞ヶ浦(かすみがうら)・北浦(きたうら)・外浪逆浦(そとなさかうら)といった大小の湖沼群が連なり、水郷地帯と称するにふさわしい景観をつくりだしています。
鉄道や自動車といった陸上交通の発達した現代では「水」は交通の障害や人々を隔てるものですが、近世まで「水」は人々を結びつけるものだったといえるでしょう。水運の発達した一帯の「香取」の語源は「舵取(かじと)り」ではないかとの説もあり、また、「印旛」の古い表記である「印波」には「波」という字が用いられており、「水」との深い関わりが考えられます。
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