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ふるさと探訪 タイムスリップ・インザイ【No.18】

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千葉県印西市

■光堂(ひかりどう)に通った日光東照宮の竜
小倉地区にある宝珠院(ほうじゅいん)は、貞観(じょうがん)年間(859〜877)の開基と伝えられ、現在は通称「光堂」と呼ばれる観音堂のみが残り、国の重要文化財に指定されています。小倉地区にはこの光堂にまつわる伝説が残されています。
伝説によると、大同(だいどう)2(807)年に利根川の上流から流れてきた仏像を、通りがかった旅の僧侶が拾って仮の堂を建てて納め、それからおよそ60年後に今の堂が建てられたとされています。光堂の欄間(らんま)には、江戸時代初期に活躍した彫刻職人の左甚五郎が彫った竜の尾があると伝わります。毎年秋になり、田の稲が黄金色に色づく頃、観音様から日光の山へ向かって、稲がぐねぐね、ぐねぐね、かき分けられ、踏みつけられ、どこまでも続き、まるで大蛇が通った後のようであり、それを見た村人は「また日光の竜が自分の尻尾に会いに来た」と言ったそうです。一方の日光地方の人たちの中でも、小倉の竜の尾のある観音堂のことが伝わっているそうで、日光東照宮の竜には尾がないことから生まれた話のようです。
実際は、昭和28〜29(1953〜54)年に行われた光堂の解体修理の際に、永禄(えいろく)6(1563)年の墨書銘のある棟札が発見され、現在の光堂はその頃に建てられたと考えられています。また、厨子(ずし)内部の背面嵌板(はめいた)に「貞観二歳三月朔日之夜南無阿弥陀仏竜宮より出現」と書かれた墨書が発見されています。
この伝説は史実と混同している部分もありますが、人々は、自然の姿や力を想像上の生き物である「竜」になぞらえて伝えてきたのでしょう。

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