大多喜町とクエルナバカ市との友好関係は、17世紀までさかのぼります。
慶長14年(1609年)にドン・ロドリゴスペイン領フィリピン臨時総督の乗るサン・フランシスコ号が日本近海で難破するという事件が起きました。難破したサン・フランシスコ号の乗組員は、御宿岩和田海岸に漂着し、地元岩和田の漁師さんや海女さんなどの献身的な救助により、多くの人命が救われました。
このことは、当時御宿岩和田の地を治めていた大多喜藩2代藩主本多忠朝公に伝えられ、忠朝公は、ドン・ロドリゴ臨時総督をはじめとする乗組員の身の安全を保障したうえ、大多喜城に招き歓迎しました。その後忠朝公は、ドン・ロドリゴ臨時総督を、2代将軍徳川秀忠公や駿府の大御所家康公への謁見に尽力し、慶長15年(1610年)、家康公の支援によりガレオン船が建造され、ドン・ロドリゴ臨時総督一行は、メキシコアカプルコの地に無事帰還しました。
この400年前の郷土の先人たちの尊い人類愛の歴史的史実が、今日の大多喜町とクエルナバカ市の交流の礎になりました。
そして、明治21年(1888年)には、日本とメキシコ合衆国において日墨修好通商航海条約が結ばれ、この条約は、明治期、日本が初めて欧米諸国と結んだ平等条約と言われています。
その後のクエルナバカ市と大多喜町との交流の歴史は、昭和53年(1978年)に大多喜町と御宿町の友好親善団一行が、メキシコ合衆国を訪問した際にクエルナバカ市と大多喜町とが姉妹都市提携を協約したことにはじまります。同年に大多喜町では、大多喜駅から大多喜城までの道を「メキシコ通り」と命名し、昭和62年(1987年)にはメキシコ通りの歩道を整備しました。その後、平成9年(1997年)、平成16年(2004年)、平成30年(2018年)の三度クエルナバカ市を親善訪問し、親交を深め、令和5年(2023年)、クエルナバカ市と大多喜町とが姉妹都市提携を協約してから45周年の年を迎え今にいたっています。
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