■みんなの喜ぶ顔を見るために野球をやりたい
千葉ロッテマリーンズ
立松 由宇(たてまつ ゆう)さん
「ロッテでの背番号49番は〝松戸さん(まつど応援キャラクター)〟の年齢と一緒なんです」と笑いながら教えてくれたのは、2024年プロ野球ドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから6位で指名を受けた松戸市出身の立松由宇選手。
社会人野球の名門・日本生命保険相互会社野球部に所属し、内野手兼捕手の左の強打者として活躍してきた立松選手は、社会人4年目にしてプロへと野球人生の舵を切りました。
立松選手の野球人生は松飛台小学校1年生から始まります。松戸KSカージナルス・松戸中央ボーイズ・柏リトルシニアと、地元の野球チームでさまざまなポジションを経験した立松選手は「サッカーや剣道も習っていましたが、1番楽しかったのは野球でした」と当時を振り返ります。その後は、「人生で自分が成長するのに1番重要な存在」と話す双子の弟・峻(しゅん)さんと一緒に、文武両道で野球がしたいと強豪野球部がある茨城県立藤代高等学校・立正大学へと進学しました。
就職を考え、野球は大学でやめようと思っていた立松選手を駆り立てたのも峻さんの存在。けがに苦しみ、野球を続けたくてもできない峻さんを見て、「自分を見つめ直す時間をもらった」という立松選手は、社会人野球の世界に進むことを決めました。
社会人になって大きく変わったというのはプレーに対する考え方。「チームのために何ができるのか考えるようになってから、いい結果につながる選手になれたと思います」という立松選手は、精鋭ぞろいの同社野球部で入社1年目から数々の試合に出場。3年目からはファーストを任され、「中軸を打たせてもらえる責任感から、内容にこだわる打席が多くなりました」と、4年間で着実に経験を積み上げ、メンタルと技術面で大きな飛躍を遂げました。
そんな立松選手の人生は、昨年10月のプロ野球ドラフト会議から急転します。千葉ロッテマリーンズから指名を受けたものの、この先のキャリアや同社の練習環境の良さから入団の返事を保留。指名後の1週間、峻さんをはじめ家族や親しい人たちと話し、みんなからの後押しにプロへの気持ちが固まったという立松選手は「自分のためだけじゃなく、みんなの喜ぶ顔を見るために野球をやっているんだと気づきました」と、決意を新たにプロ入りを決断しました。
「また地元の千葉に戻って成長した姿を見せられることも、少年時代から大ファンだったロッテでプレーできることもすごく嬉しい」と話し、自身の強みを生かして「まずは開幕1軍」と目標を掲げる立松選手。松戸から羽ばたき、プロ野球選手としてグラウンドに立つ第2の人生が、今始まります。
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