■岩屋古墳のとなりの古墳で新発見!
岩屋古墳のすぐ隣に、二回りほど小さな古墳があるのを御存じでしょうか。岩屋古墳(105号墳)の西側(旧学習院初等科正堂側)にあり、104号墳と呼ばれています。
岩屋古墳の近辺には、ドラムの里の近くのみそ岩屋古墳(106号墳)や、107号墳などの古墳時代終末期の方墳が点在しており、同時期の古墳である104号墳もまた、方墳であると長らく認識されてきました。
ところが、今年の3月に早稲田大学が104号墳の形状を最新技術で調査したところ、実は方墳ではなく円墳であることがわかりました。
古墳のまわりには、通常、古墳の形状にあわせて、溝が構築されています。岩屋古墳であれば、方形の2重周溝が巡っており、浅間山古墳であれば、鍵穴型の周溝が、埴輪が並ぶ101号墳であれば、円形の二重周溝が巡っています。104号墳では、墳丘のまわりに、円形の溝が巡っていたので、墳丘の形状が円形であることがわかったのです。
104号墳が円墳であることは、実は、昭和40年の調査で指摘されていたことでしたが、研究が進むにつれて方墳であるという見解が定説化していました。そのような経緯から、今回の調査成果は、当初の発掘調査の見解に立ち返る発見ということになります。
さらに、岩屋古墳での測量結果から、岩屋古墳の周溝が、104号墳の中堤(ちゅうてい)を一部切り崩して造られたことがわかり、岩屋古墳の前に築造されたことまで判明しました。
両古墳が作られた古墳時代終末期というのは、大陸から仏教文化や律令を吸収し、新しい国づくりを始めた激動の時代でした。先月号までの連載「浅間山古墳と岩屋古墳」でも触れられていますが、全国で前方後円墳の造営が停止され、大王墓としては方墳が採用されたという大きな変革期にあたります。
今回の調査によって、前方後円墳の浅間山古墳から、方墳の岩屋古墳へと移り変わるその狭間に、円墳である104号墳が位置づけられることになるので、前方後円墳から方墳へという見解に、一石を投じることになりそうです。
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