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歴史資料館 連載三八三

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千葉県鋸南町

■上総のそこ一里
「菜の花や 今日も上総のそこ一里」
これは風景画で有名な浮世絵師、歌川広重(うたがわひろしげ)が房総を旅行した時、詠(よ)んだ句です。
広重は二度房総を旅しています。二回目が嘉永五年(一八五二)春、江戸から木更津へ船で着いた広重は鹿野山(かのうざん)を抜けて外房へ出て、清澄(きよすみ)、小湊誕生寺(こみなとたんじょうじ)を参詣(さんけい)し、海岸線をぐるりとめぐり、那古観音(なごかんのん)を参詣しています。
三月五日、勝山、保田を通り鋸山日本寺にも参詣。そして明鐘(みょうがね)を通り金谷に出て、そこで一泊しました。泊まった宿は不明ですが、この時の日記には、房州の人六人と相部屋になり、夜更けまで絵について話がはずんだと書かれています。
翌日はあいにく雨。広重は江戸行きの船の出る木更津まで、雨具もなしに金谷を出立しました。午前中には木更津に着くだろうとふんでいたのでしょう。ところが、あいにく、いつもなら竹岡や湊から出ている木更津までの乗合船(のりあいぶね)が雨で欠航。しかたなく徒歩で木更津へ急ぎます。
不慣(ふな)れな道で距離もわからない広重は、歩きながら村人に聞きます。
「木更津まであとどれくらいですか」
「ああ、そこ一里(いちり)だっぺ」
と村人は答えます。広重はあと一里ぐらいかという腹(はら)づもりで道を進み、もう一里ぐらい来ただろうと、またその辺にいる村人に聞くと、
「ああ、そこ一里だっぺ」
と同じ答えが返ってきます。行けども行けども、帰る答えは
「ああ、そこ一里だっぺ」
広重はわけがわからなくなり、結局、木更津の江戸行きの船に乗り遅れてしまいました。その時に詠んだ句が、冒頭(ぼうとう)の句です。
そこ一里とは、上総地方独特の言い回しで、「あと少しだよ」という意味だそうです。それを知らない江戸っ子広重の憤慨(ふんがい)した気持ちが表れています。春雨にうたれ、菜の花の道を汗かいて急いでいる広重の姿が目に浮かぶようです。

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