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歴史資料館 連載三九四

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千葉県鋸南町

■吉原恋の道引
江戸の吉原を舞台に蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)がエンタメ出版界で名をなしたのが、十八世紀後半。しかしその百年ほど前に吉原は誕生しています。幕府公認の遊郭(ゆうかく)として明暦(めいれき)の大火後に、浅草のさびれた田んぼの中に移されての出発。その吉原を最初にメディア化し、あの手この手で情報発信し、その人気の火付け役となったのが菱川師宣(ひしかわもろのぶ)なのです。
師宣は「吉原恋(よしわらこい)の道引(みちひき)」という絵本を延宝六年(一六七八)に出しています。いわば吉原ガイドブックです。大きく絵入りで吉原を紹介し、初めてでも大丈夫なように行き方やしきたりを教え、大人気の本となります。その内容を現代風に簡単に紹介します。
まず冒頭に、「この道は知るも愚(おろ)か、知らざるも愚か。でも恋の心が無くては、人は物の情けを知らない。これを悪い事ばかりと制するのも野暮(やぼ)なもの。ただ調子に乗って金銀を使い果たし、人としてみすぼらしくなるのも、最も愚か。ということで、案内のためにこの本を記してみたので、どうぞ」というような文章。
そして道のりから始まります。江戸市中のどこから浅草まで馬でいくら、舟でいくら、雨の時は、ちょっと駄賃(だちん)をはずめとか。いい船頭(せんどう)は誰々がいますよとか。日本堤(にほんつつみ)と言う土手を歩いて、吉原大門に近づけば、ちょっと着物を身づくろいしてしゃきっとしなさい、それゆえここを衣文坂(えもんざか)と言うんですよ、とか。
さて遊郭内に入れば、初心者と悟(さと)られまいとわざと力んで歩き回り、そこここの見世先(みせさき)をのぞき込むなんて野暮ですよ。座敷では大勢をあげての酒宴も大事、取り仕切る女たちや取り巻きにも、いくらか手渡せば、いいように差配(さはい)してくれる、などとその金額まで記すていねいぶりです。
とにかく吉原は師宣によって、江戸の男たちのステイタスとなり広まっていったのです。
「吉原恋の道引」を読んでみたい方、二月に公民館講座で行う師宣の絵本解読講座に来てみてください。

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