文字サイズ
自治体の皆さまへ

ちょうなん歴史夜話

37/47

千葉県長南町

■長南開拓記(53)~「古墳」と「横穴墓」~
長生地方の横穴墓は、入り口に大きな段差がある「高壇式」が主体ですが、段差がない「非高壇式」の存在が、ごく少数確認されています。松本昌久氏によれば、長生地方の横穴墓は、まず、六世紀後半に非高壇式が導入され、七世紀前半に高壇式が導入された、という変遷があったとされます。長生地方の非高壇式横穴墓は、長南町の米満、小谷(豊原大井)、久原、地引、茂原市の久下(国府関)、鏡谷(上永吉)、猿袋、睦沢町の東谷(上之郷)、長楽寺で発掘調査されていますが、確かに、これらの築造年代は六世紀後半~七世紀前葉の範疇にあり、また、確実に六世紀代に遡る高壇式横穴墓も見つかっていません。
さて、これらの非高壇式横穴墓の分布を河川流域別に見ると、豊田川~一宮川~三途川(便宜上、これらを一宮川本流系流域と呼ぶ)北岸に久下・米満、鶴枝川流域に鏡谷・猿袋、埴生川~長楽寺川~瑞沢川(埴生川系流域と呼ぶ)には小谷・久原・地引・長楽寺・東谷というように、埴生川系流域に多い一方で、当地方最大の密集地である一宮川本流系流域にはほとんどない状況です。また、以前話したように、古墳時代後期とみられる古墳も埴生川系流域に偏っています。こうした古墳と横穴墓の関係を示唆し得る事例ですが、森・長楽寺古墳群(睦沢町)では、五基中三基の発掘調査が行われており、このうちの四号墳を五世紀末~六世紀初頭、五号墳を六世紀末~七世紀初頭とし、他の三基はその中間で築造されたものであろう、と報告されています。この古墳群が興味深いのは、隣接する丘陵に長楽寺横穴墓群があり、そこでも十二基の横穴墓が発掘されていることです。そのうち四基が非高壇式横穴墓であり、いずれも築造年代は六世紀後半~七世紀前葉の範疇に収まり、高壇式横穴墓より先行すると報告されており、少なくとも森・長楽寺地区では、古墳→非高壇式横穴墓→高壇式横穴墓と、古墳時代後期において墓制の変遷があった可能性が示唆されています。これを以って、この地方全体の傾向とまでは言えませんが、その一端が垣間見えた調査成果であったと言えます。

久原の長久寺裏にあった非高壇式の横穴墓。当地方の非高壇式横穴はこのように単独か、せいぜい数基のグループを為す程度であり、高壇式横穴のように密集した状況は確認されていない。
※写真は本紙をご覧ください

(町資料館 風間俊人)

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU