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お茶の間博物館 420

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千葉県館山市

■シリーズ 房州の名産品今昔 (5)梨
昭和4年(1929)刊行の『房州めぐり-房総循環鉄道-』は、この年に勝浦・安房鴨川駅間の鉄道が開通し、内房と外房を結ぶ「房総循環線」が完成したのに合わせて発行された観光ガイドブックです。この本には、保田から安房小湊までの駅ごとに周辺の名所や名産品が紹介されています。名産品として挙げられているものは、例えば富浦駅では枇杷、安房北条駅(現在の館山駅)では海苔・ワカメ・ヒジキや鯨などで、このうち九重駅の項には「館野村の梨」とあり、古来より「山本梨」と称されていることが記されています。
現在も特産品として知られる房州の梨の栽培は、安政3年(1856)に加茂村(南房総市)の人物が始めた梨園が最初と伝えられています(『安房郡誌』)。その後、南房総市丸山町周辺に栽培が広がり、大正時代のおもな産地は豊田村・千歳村・健田村(以上、南房総市)と九重村・館野村でした。これらの地域で生産された梨は、周辺の町場や漁村で販売されたほか、東京の市場へも出荷されていました。
館野村のうち山本が梨の産地であったことは、文学作品にも登場します。歌人の印東昌綱(いんどうまさつな)(1877~1944)は病気療養のため、明治30年(1897)から北条の木村屋旅館に長期滞在していました。明治36年に刊行された『磯馴松(そなれまつ)』には、彼が房州の風景や人々との交流について記した随筆や短歌が収録されており、その中で山本の梨畑は次のように描かれています。
安房産物の一つなる山本の梨畑は、北條より遠からず。小高き岡のここかしこに、数軒の畑主、かたみに番小屋をしつらひつ。梨の種類はいと多く、いかに好む人健やかなる人も、そを一つづつ味ひゆかん事は、なしがたしとぞ。
【訳】安房の産物の一つである山本の梨畑は、北条からは遠くない。小高い丘のあちらこちらに畑があり、数軒の持主がそばに番小屋を設けている。梨の種類はとても多く、どんなに好きな人や健康な人であっても、すべて味わうことはできないということだ。
書物には前述の文章に続けて、太白・幸蔵・白玉など計18種類が掲載されており、当時、たくさんの品種が栽培されていた様子がうかがえます。印東は遠くで暮らす幼い姪の誕生日に、房州の海岸で拾った貝殻とともに山本の梨を贈っています。房州の名産品として気に入っていたのでしょう。

■博物館の休館日
本館・館山城:1月6日、14日、20日、27日
渚の博物館:1月27日
※年末年始の休館情報は、広報12月号(P12)を確認してください。

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〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

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