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お茶の間博物館 419

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千葉県館山市

■シリーズ 房州の名産品今昔 (4)館山湾の捕鯨
「鯨のタレ」はツチクジラの肉を塩水につけて天日に干した珍味です。塩味や甘辛い醤油味のものがあり、スルメのようにあぶって焼いた後に細く裂いて食べます。かつては塩を多く使い、今より塩辛く硬いものでした。「鯨のタレ」は夏の暑い時期であってもクジラの生肉を常温で長く保存するために工夫された調理法と考えられます。
房州では長年にわたり捕鯨が行われてきました。江戸時代には、加知山村(安房郡鋸南町勝山)で醍醐新兵衛が組織的な捕鯨を行っていました。昭和24(1949)年に和田町(南房総市)に設立された外房捕鯨株式会社は、今も房総沖でツチクジラを捕り、和田港に引き上げて解体を行っています。このように勝山や和田は捕鯨に縁ある地として有名ですが、実は館山も捕鯨と縁深い地の一つです。
明治21(1888)年、農商務省の技師である関澤明清は、9代目醍醐新兵衛らとともに豊津村(館山市)に日本水産会社を設立しました。日本水産会社は米国式捕鯨法を導入してクジラの捕獲や加工を行いましたが、クジラの捕獲数が予想よりも少なかったことから明治24(1891)年に解散しています。解散後は水産製造所として鯨肉の加工を行いました。明治31(1898)年発行の館山湾鏡ヶ浦を描いた絵図「房州鏡ヶ浦八景」には水産製造所のことと思われる「関澤鯨搾油製作所」の文字が書かれています。
明治32(1899)年4月、鏑木余三男(関澤明清の弟)らは館山町館山(館山市)に房総遠洋漁業株式会社を開業しました。この会社はオットセイ漁を中心にクジラ・イワシ・マグロ・カツオなどを捕獲・販売し、明治39(1906)年に東海漁業株式会社に改称しました。改称後も本店は引き続き館山に置かれ、明治41(1908)年にはノルウェー式捕鯨砲を導入して捕獲量を増やしました。しかし、翌年にはクジラの乱獲を防ぐために「鯨漁取締規則」が制定され、漁獲の規制が行われます。同年、東海漁業株式会社の汽船捕鯨部は東洋捕鯨株式会社に買収され、その後、東海漁業株式会社では、「鯨漁取締規則」の対象とならないボート式小型捕鯨が行われました。東海漁業株式会社は大正2(1913)年に根拠地を乙浜(南房総市白浜町)に移し、昭和44(1969)年まで沿岸捕鯨を続けました。
渚の博物館(館山市立博物館分館)には、ノルウェー式捕鯨砲など房総捕鯨の歴史を語る捕鯨関連資料が収蔵されています。

■博物館の休館日
本館・館山城:11月5日、11日、18日、25日
渚の博物館:11月25日

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