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香取遺産(vol.220)

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千葉県香取市

◆古図面にみる屋台
代々宮大工を務める岡野家に、古い屋台の図面が残されています。「嘉永元申八月写」「(八)分」とある八日市場の屋台の図面を写したもの(写真1左)、「嘉永元申八月改」「セ組分」とある関戸の屋台を実測したもの(写真1右)、「舩戸(ふなど)町分 嘉永二酉 古屋代改ル」とある舩戸の屋台を実測したもの(写真2)です(嘉永元年は西暦1848年、嘉永2年は西暦1849年です)。八日市場のものは天保11(1840)年に新調された柱間を全て彫物で装飾する総彫物(そうほりもの)の屋台(香取遺産vol.182「おかめさんは文化元年生まれ!」に関連した記事があります。)の形が分かるもので、今のものとほぼ同じ形をしています。一方、関戸と舩戸の図面からは、大天井(おおてんじょう)と中天井(ちゅうてんじょう)の高欄(こうらん)は今のものより一段低く、中天井は平桁(ひらげた)と架木(ほこぎ)からなる擬宝珠(ぎぼし)高欄になっていることが分かります。舩戸の図面を詳しく見ていくと、車(ハンマ・車輪)の大きさは約80cmで幅は約20cm。土台の上から大天井の架木までは約3m50cmであったことが分かります。
嘉永期(1848~1854)は、寺宿、田宿、仁井宿、上中宿と漆塗総彫物(うるしぬりそうほりもの)の屋台が相次いで新調される時期です。それまでの古い型式の屋台を廃していく過渡期にあたるとみることができます。関戸と舩戸の図面は、現在の形になる前の姿を示しており、特に舩戸のものは「古屋代」と古いことを強調して記していることや、「代」の字を使用していることから「やだい」と呼んでいたことが分かります。関戸も舩戸もその後に屋台を新調したことが確認できていないこと、関戸の彫物は石川藤吉による嘉永期の作であり、舩戸の彫物は嘉永3(1850)年に寺宿の彫物を手掛けた石川常次郎であることから、これらの屋台は図面がとられた以降に総彫物へと改修したと考えられます。
※文中「舩戸」は現「船戸」
※写真は本紙をご覧ください。

問合せ:生涯学習課
【電話】50-1224

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