紀伊山地の霊場と参詣道 その背景にあるもの
紀伊山地の霊場と参詣道が世界遺産に登録されて20年。記念のイベントをたくさん実施していますが、ここで、世界遺産に登録された意味を振り返ってみたいと思います。
真言密教の高野山、修験道の吉野、大峯、神道信仰の熊野三山は神仏習合の思想によって結ばれています。高野山と丹生都比売神社、熊野那智大社と那智山青岸渡寺などはその象徴です。
西洋思想は、一神教の影響もあり二者択一、「あれか、これか」です。私たちは神仏習合のようにすべてを抱擁し、「あれも、これも」と考えます。このような寛容な精神が、外国人も含めて多くの人々を魅了しています。世界遺産登録の背景にはこのような精神性の豊かさがあります。
お大師様は人と自然は対立するものではなく、人もまた自然の一部であり、あらゆるものとの関係性の中で生かされていると教えてくれています。古来聖地は女人禁制でしたが、熊野は女性を受け入れていました。和泉式部が月の障りのため参詣をあきらめた夜、夢の中に熊野権現が現れ、「もろともに塵にまじわる神なれば月の障りも何か苦しき」と。熊野はジェンダー平等の元祖です。
また、小栗判官照手姫の物語では、歩くことのできない餓鬼阿弥の姿となった小栗が土車で引かれて熊野詣をして元の若武者に戻ります。「よみがえりの聖地」熊野はユニバーサルツーリズムの発祥の地でもあります。
紀伊山地の霊場と参詣道は和歌山の素晴らしい財産であり県民の誇りでもあります。未来に向かってしっかりと受けついでいかなければなりません。
和歌山県知事 岸本 周平
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