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車長持・氏子札・殿さまの草履の話

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和歌山県上富田町

朝来地区にお住まいの谷地さんより、木の車輪付きの大きな長持と氏子札6枚、殿さまが履いたと伝わってきている草履(ぞうり)を上富田町郷土資料館に寄贈していただきました。 
長持は、衣類やふとん、日常の道具などを収納する蓋(ふた)つきの長方形の大きな箱で、近年までは嫁入り道具の一つに数えられていました。資料館にも数点展示していますが車輪付きというのはありません。 
江戸時代初期に車輪をつけた大型の車長持が作られたそうですが、かえって不便で、火事のとき道をふさぐため江戸、京、大坂では1683年以後禁止されたそうです。紀伊風土記の丘の資料館にも同じような車長持が展示されています。 
氏子札は、廃藩置県の際にすべての国民がどこかの神社の氏子となり神社が発行する氏子札を持つことを義務付けたものですが、この6枚の氏子札が珍しいのはすべて「紀伊国田辺県牟婁郡…」と書かれていたことでした。 
というのも、版籍奉還で紀州藩は和歌山藩・田辺藩・新宮藩に分けられたものの、またすぐに和歌山県・田辺県・新宮県となりました。そして4か月後には統合されて和歌山県となっていますが、そのわずか4か月の間に発行された氏子札なのです。 
殿さまの履いたと伝わる草履はわら草履ではなくイグサで作られていて長さ21cm、幅は広いところでも8cmという少し小さめです。昔、殿さまが通った時に休憩したという話も谷地家では伝わっています。確かに谷地さんの家の前は熊野古道大辺路が通っており、生馬地区には田辺の殿さまの屋敷もあって通り道でもあり、なおかつ谷地さん宅には有名な弘法の井戸と呼ばれる井戸もあります。十分に殿さまの履いた草履の可能性はあると思います。 
寄贈品をいただきに行ったついでに弘法の井戸を覗いてみたところ、まだ水はありました。お話を聞くと、以前は杓(しゃく)で汲めるほどの浅い井戸だったそうですが、国道工事の関係でだんだんとかさ上げして今のように深くなってしまったということでした。その杓は、今も井戸の近くに置いています。 
ちょっと話がそれてしまいましたが、氏子札・殿さまの草履は5月からのロビー展で紹介する予定です。
(大谷)

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