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橋の今昔1(岩田橋)

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和歌山県上富田町

上富田町内には、富田川に架かる橋として、郵便橋、生馬橋、岩田橋、市ノ瀬橋、加茂橋、そして潜水橋として山王橋・畑山橋が架けられています。
先ずは町の中央に位置する岩田橋を紹介します。
岩田地区では田熊だけが富田川左岸にあるため、川の氾濫のたびに孤立しました。(橋が流された時には渡し船が出た)また、公的機関は主に右岸にあったため不便でした。
大正初期の頃は、堤防から川原に降り、水の流れている部分にのみ板橋が架かっていました。(現岩田橋より少し下流)そのため、学校は常に川の状況に注意しながら、増水の危険のある時は田熊地区の児童を集めて早めに帰宅させました。高学年になれば、下流の生馬橋を通って登下校しましたが、相当な距離でも別段苦にしなかったようです。
その後、岸から岸までの本格的な木造の橋が架けられたのは太平洋戦争後の昭和26年(1951)で、この頃は田熊橋とも呼ばれていました。現在の橋より少し上流に架けられていましたが、木造のため増水すれば一部が流されることもたびたびありました。
昭和42年(1967)には悲願であったコンクリート製の現在の岩田橋が完成し盛大に竣工式が開催されています。
当時は、山本萬米初代上富田町長の名をとって通称「萬米橋」とも呼ばれていましたが、今では岩田橋は田熊地区のライフラインのみならず、生馬橋・市ノ瀬橋とともに、両岸を結ぶ重要な橋となっています。

参考
・『わが郷土』山本武夫
・『上富田町史通史編』

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