■世界津波の日
印南町長 日裏 勝己(ひうらかつみ)
今年も残り2ヶ月となりました。日高地方の先陣を切って行われた印南祭りも無事終了いたしました。素晴らしい秋晴れの中、気温が30度を超え、若中の皆さんも大変であったこととお察し申し上げます。例年どおり多くの見物客で賑わい、心に残る祭りとなりました。夏休みが終わる頃からの「ならし」をはじめ、資金調達やいろいろな準備を整えて当日を迎えられた。関係者のご労苦に心より敬意と感謝を申し上げます。
さて、11月5日は「津波防災の日」「世界津波の日」です。1854年(安政元年)の「安政南海地震」で発生した津波をもとに、「稲むらの火」(小泉八雲)の短編小説が描かれ、そこから「世界津波の日」が制定されました。改めてご紹介させていただきます。
『紀伊国広村(現在の有田郡広川町)での出来事で、村の高台に住む庄屋の五兵衛は、地震の揺れを感じた後、「これはただ事ではない」とつぶやきながら家から出てきた。今までに経験したことのない不気味なものであった。村から海へ移した五兵衛の目は、たちまちそこに吸い付けられた。波が沖へ沖へと動いて、みるみる海岸には広い砂浜や、黒い岩が表れてきた。「大変だ。津波がやってくるに違いない。四百の命が村もろ共一飲みにやられてしまう。よし」と叫んで大きな松明を持ってきた。そこには取り入れるばかりになっているたくさんの稲束が積んである。「もったいないが、これで村中の命が救えるのだ」と五兵衛はいきなり稲むらに火を移した。一つまた一つと自分のすべての稲むらに火をつけてしまうと、稲むらの火は天をこがした。山寺では、この火を見て早鐘をつき出した。「火事だ。庄屋さんの家だ」と村の若い者、続いて老人も、女も、子供もかけ出した。彼等は、すぐに火を消しにかかろうとする。「うっちゃっておけ。村中の人に来てもらうんだ」村中の人は、追々集まって来た。其の時、五兵衛は力いっぱいの声で叫んだ。「みろ。やって来たぞ」、「津波だ」と誰かが叫んだ。人々は我を忘れて後ろへ飛びのいた。自分等の村の上を荒れ狂って通る白い恐ろしい海を見た。二度三度、村の上を海は進み、また退いた。始めて我に返った村人は、此の火によって救われたのだと気がつくと、無言のまま五兵衛の前にひざまづいてしまった。』(広川町・稲むらの火の館・資料室より、短縮要約)「被災後、五兵衛こと濱口梧陵は、「築堤の工を起こして住民百世の安堵を図る」との思いで、私財を投じて防潮堤を築造しています。」
この「稲むらの火」の物語は、昭和12年から10年間、全国の小学生の教科書に掲載され、1年の収穫である「稲むら」を燃やしてまで、村人を救った五兵衛の物語は子どもたちに大きな感動を与えたことでしょう。
改めて偉大な先人へ感謝するとともに地震・津波の恐ろしさを再認識したところであります。
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