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わたしのまちの文化財 vol.191 戦前・戦中の若者達の姿

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和歌山県紀の川市

どの時代でも庶民の記録は残りにくいものです。しかし、プライベートなことは別にして、歴史の節目で人々がどのように生きてきたかを知ることは重要なことです。
第二次世界大戦という日本史の大きな転換期から約80年。多くの人が体験や思い出を記録したことで、私たちは今、時代の様子を知ることができます。しかしながら、この時期の紙の一次資料はほとんど残っていません。今回は、貴重な紙の一次資料として現在まで残っている「橿原神宮勤労奉仕写真(昭和15年)」、「明治神宮国民体育大会」冊子(昭和14年)や「飯盛鉱山レポート」の受講ノート、「兵営日記」(昭和17年)、などを紹介します。
「明治神宮国民体育大会」冊子は、1924年(大正13年)から1943年(昭和18年)にかけて14回にわたり行われた国体の第10回大会のものです。冊子の中には、手榴弾投擲(しゅりゅうだんとうてき)突撃や行軍競走などの国防競技が種目として掲載されており、当時の情勢が伺えます。
「飯盛鉱山レポート」は、昭和16年の地学科学生の実習ノートです。紀伊半島三波川変成帯の飯盛鉱床、飯盛鉱山における採鉱、選鉱システムが克明に記録されています。飯盛鉱山は閉山になって長い年月が経っており、今となっては内部の状況を知る事の出来る貴重な資料です。その他にも、採鉱や実験の写真やノートも多く残っており、地質学関係の受講ノートからは、当時の資源をめぐる世界情勢などを学んでいたことも分かります。
また、徴兵のため、9月に繰り上げ卒業した学生の卒業証書も残っています。採鉱学などを学んでいたため、技術兵として徴兵。高槻工兵隊に入隊した記録があり、その時の初年兵教育のための「兵営日記」3か月分には、上官の書き込みや検印があります。
さらには、軍事色の濃い慶応大学経済科の卒業アルバム(昭和18年)やその卒業生が派兵された中支からのはがき、その卒業生の戦死を悼む友人からの手紙なども見つかっています。
歴史に対する見方、考え方はさまざまですが、私たちも後世の人々も、それぞれの時代を正確に知るためには、第一次資料から見るしかありません。資料となるものを保存することは重要なことです。

現在、紀の川市歴史民俗資料館では、8月20日まで「戦前・戦中の記録」と題した企画展を開催しています。ぜひ、お越しください。

問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】77-2511(生涯学習課内)

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