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世界遺産を読み歩く ー学芸員通信(全12回)ー 第11回

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和歌山県那智勝浦町

■第11回 熊野参詣道について
さて、今回は熊野参詣道についてのお話です。熊野三山へと参る熊野詣は、平安時代から各地で盛んにおこなわれるようになり、都の天皇・貴族からも崇敬を集めました。そのため、都であった京都を出発して熊野三山を目指す紀伊路、田辺より山中に入り本宮大社を目指す中辺路、田辺より海岸沿いの道を進み補陀洛山寺のあたりまでのルートである大辺路、三重県のほうから熊野三山を目指す伊勢路などがあります。そのなかで世界遺産に登録されているのは、中辺路・大辺路・伊勢路の一部分となっています。
熊野参詣道の道中には九十九王子(くじゅうくおうじ)と呼ばれる王子社が存在しています。九十九とは数多くあるという意味でつかわれており、実際は100以上あったと伝えられています。これらはもともと地域にあった道祖神が徐々に整備されて王子社として機能したと考えられています。整備の主体となったのは熊野参詣の先達をつとめた修験者たちで、各王子ではそれぞれ参拝だけでなく儀式などもおこなわれました。
参詣道の中辺路は本宮大社から熊野川を下って速玉大社に移動し、最後に那智大社へと参拝するルートとなっています。参詣道のなかでも最も多くの人が通行したといわれているのがこのルートです。平安時代から鎌倉時代にかけての熊野御幸では、中辺路が公式な参拝路とされていました。
また、田辺から海岸線沿いを歩く大辺路は中辺路よりも距離が長いことが特徴のひとつです。もともとは修験者等の宗教者のみが利用する道でしたが、近世期に入ると彼ら以外の民衆による利用もみられるようになりました。これは民衆が観光を兼ねた熊野参詣をおこなうようになったためであり、海と山の双方がみられる風光明媚な大辺路は特に文人たちに人気なルートとなっていました。
そして、伊勢路については伊勢神宮を出発し熊野を目指すルートです。近世期に伊勢神宮への参拝と西国三十三所巡礼が盛んになった影響で、利用者が増加しました。伊勢路は花の窟を分岐点として本宮大社へ向かう本宮道、速玉大社へ向かう七里御浜道へと分かれています。
このように、日本各地から信仰を集めた熊野へのルートについては京都方面からくるものと、三重方面からくるものがあることを紹介しました。
この連載については次回で最後となりますので、来月は12回分のまとめについてお話していきたいと思います。

文・前田 愛佳(学芸員)

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