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昔から今も残る 高野町内の名所シリーズ(87)

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和歌山県高野町

◆子継地蔵(こつぎじぞう)(高野山)

高野町高野山の北、楊柳(ようりゅう)山の西に位置する子継峠に、子継地蔵とその祠(ほこら)があります。高野参詣道黒河道(くろこみち)と女人道(にょにんみち)が交わるところです。

子継地蔵は室町時代中頃の永正9年(1512)に作られた舟形光背(ふながたこうはい)、一石彫成(いっせきちょうせい)の地蔵菩薩立像です。法量は、総高84.0cm、像高59.6cm、幅40.0cm、奥行19.2cmです。緑泥片岩(りょくでいへんがん)という石で造られ、暗緑色をしています。これは緑泥石を主成分とする結晶片岩(けっしょうへんがん)で、つやがあり鉱物が一定方向に配列する岩石の構造になっています。庭石などに用いられてきた石です。地蔵には銘文があり、「香舂峠永正九《壬申》八月廿二日十三年検校重任」と刻まれています。永正9年、時の高野山主の検校(けんぎょう)であった重任という人物が造立したようです。

「香舂峠」は「こつきとうげ」と読まれ、峠の地蔵さまであることがわかります。また、地元では子授けの信仰があります。子宝を願う人たちが赤ちゃん用前掛けを奉納しています。

子継地蔵の銘文には「香舂峠」とありますが、「子継峠」「粉撞峠」「粉突峠」とも表記されます。黒河道は高野山から九度山町久保地区や旧黒河村を通って橋本市隅田町下兵庫へ至ります。かつて道沿いの集落では、高野山奥之院から出た線香の灰を野菜などと交換していたそうです。灰は畑の肥料となりました。

高野山と黒河道の村々をつなぐ峠の道標である子継地蔵は、現在もなお通行人を見守り続けています。

教育委員会

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