◆万丈転(ばんじょうこ)かし(京大坂道不動坂(きょうおおさかみちふどうざか))
高野参詣道京大坂道不動坂に、「万丈転かし」という場所があります。不動坂の中ほどにある稚ち児ごの滝の少し下方にあり、谷間をのぞいて見ることができます。この名はむかしの高野山寺領の刑罰からきています。
『紀伊国名所図会(きのくにめいしょずえ)』の「万丈転かし」のところには、「此処(このところ)より谷間を窺ふに、其(その)深さいくばくといふ事をしらず、木草枝(きくさえだ)をさし交(まじ)へて、底なきがごとし、雪中(せっちゅう)には人の誤りおち入(いら)む事を恐る、そのをりの備(そなえ)とて檻(おばしま)をまうく、こゝは万丈転と名づけて、山内に無頼(ぶらい)の族(やから)を執(とら)へ、其足手(あして)をしもとに結付(ゆいつけ)て、追放する処なりとぞ、蓋(けだし)法界の刑、兵器を用いるに至らざれども、罪人に於(おい)て其譴責(けんせき)の厳(げん)なるを見るべし」と記されるような場所です。挿絵にも柵が設けられています。
高野山寺領の刑罰のうち、「追放」は頭髪の片方側の鬢(びん)を剃り落とし、そのあとに朱墨(しゅずみ)をべったり塗って高野山の七里結界の外へ追放するものでした。このようにすると、いれずみを入れたように毛根に朱墨が染みこんで、長い間消えなくなります。この刑は比較的軽微な罪人に科せられました。追放より重い罪には万丈転かしが執行されたそうです。この処刑は罪人の手足を縛り上げ、簀巻きにして万丈ヶ谷へ投げ落とすものです。
この過酷な刑罰を受けた罪人が、仮に助かるようなことがあれば、即刻無罪放免となって、世間に復帰することができた、といわれています。
教育委員会
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