◆御室御陵(おむろごりょう)〈静覚入道親王(じょうかくにゅうどうしんのう)の墓所(ぼしょ))伝承地(花坂)
花坂小学校から国道370号を北西に100mほど進んだ三差路の山手に御室御陵(静覚入道親王の墓所)伝承地があります。大師原とよばれる畑地の急斜面を登ったところです。
静覚入道親王(1439~1503)は室町時代の皇族である伏見宮邦康(ふしみのみやくにやす)親王の子で、のちに後花園上皇(1419~1471)の猶子(ゆうし)となった人です。仁和寺門跡(にんなじもんぜき)として仁和寺御室第18代を務めました。応仁の乱(1467~1477)で京都が戦場となり荒廃し、仁和寺も災禍にかかったことで、静覚入道親王はいったん高雄山に難を逃れました。しかし、なお都に近いことから住み辛くなり、ゆかりのある高野山の光臺院(こうだいいん)に隠棲しました。文亀3年(1503)に65歳で亡くなりますが、晩年は花坂村で過ごしたということです。御室御陵伝承地までの畑地は御室屋敷(おむろやしき)があったと伝えられています。
御室御陵伝承地には総高102.8cm、幅21cmの砂岩製の五輪塔が建てられています。「□(文ヵ)亀三年癸亥八月廿一日」と刻まれています。静覚入道親王の供養のために建てられたものです。
昭和3年(1928)、御大典(ごたいてん)記念事業として現在の場所から西へ300mの路傍に移され、地蔵尊として祀られました。平成27年(2015)には御室御陵伝承地の調査が高野町によって行われ、五輪塔も現在の場所に戻されました。さらに高野町指定文化財(史跡)に指定されました。
これからも地域のみなさまとともに守っていくべき文化財です。
教育委員会
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