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昔から今も残る 高野町内の名所シリーズ(99)

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和歌山県高野町

◆西ヶ峯(にしがみね)
西ヶ峰は高野山の北東、摩尼(まに)山の東側谷筋に位置し、集落は山の中腹に散在しています。『紀伊続風土記(きいしょくふどき)』によると、西ヶ峰は摩尼荘に属し、西ヶ峰、南、林の三か村は中摩尼の谷にあると記されています。中摩尼の様子は「山僧延気に来り遊ふより、村中に盤戯蹴鞠(ばんぎけまり)なとをし、小歌を謡(うた)ひ酒を勧(すすめ)る者ありて、家建(やだち)も深山(みやま)中に似す、人物も是(これ)に応して事馴たるもの多し」と山の中であっても賑やかな村であったようです。
高野山へ炭などを供給していました。槙皮(まいはだ)や檜皮(ひわだ)が豊富であったため、槙縄(まきなわ)や檜縄(ひなわ)の生産も盛んでした。昭和時代にも製造していましたが、造船技術の発達など時代の流れとともに生活上の必需品が変容し、槙縄や檜縄は作られなくなりました。
この度、慶応元年(1865)に書写された「摩尼村山絵図」が、個人の方から教育委員会に寄託されました。この絵図には西ヶ峰、南、林、平原、樫原(小安)、東又、杖ヶ藪が描かれています。寛文12年(1672)に西ヶ峰と南、林の際目において争論があり、その解決のために古絵図が書き写されました。寛文年中は遍照光院の僧侶が、天明6年(1786)には随心院の僧侶が、慶応元年(1865)には西ヶ峰の福岡貞右衛門直賢が絵図を写しています。随心院や遍照光院は高野山の寺院です。絵図の中にも高野山寺院の持山が記され、摩尼の村々が高野山寺領であったことがわかります。

問合せ:教育委員会
【電話】0736-56-3050

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