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昔から今も残る 高野町内の名所シリーズ(92)

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和歌山県高野町

◆地蔵堂(じぞうどう)(西富貴)
江戸時代の地誌である『紀伊続風土記(きいしょくふどき)』の「西富貴村」のところには、「西富貴村、爾志夫喜、小名下村、田畑高二百三十三石三斗二升九合三勺五撮、家数五十軒、人数二百九十三人、東富貴村の西につづきたり」とあります。西富貴村には50軒の家があり、293人住んでいたようです。そして、この村には「堂二宇(う)」(二つのお堂)があり、一つは村の宮本(宮ノ本)にあった薬師堂、もうひとつが馬場にあった地蔵堂です。
地蔵堂のことは『紀伊続風土記』に「境内周十七間余、村の東一町許馬場といふにあり」と記されています。昭和25年頃まで西富貴の選果場あたりにお堂があったようです。現在、二体の地蔵菩薩像が道沿いのガラスケースの内に祀られ、外から拝むことができます。向かって左の地蔵菩薩坐像は右手に錫杖をとらないかたちで、左手に火炎宝珠をとり、腹付近に下衣をみせる姿をし、製作は現代のようです。向かって右の地蔵菩薩立像は江戸時代前期から中期ごろに作られた地蔵菩薩と推測されます。

教育委員会

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