◆黒石(くろいし)(西郷)
明治4年(1871)2月29日、高野山麓の神谷で日本において最後となる仇討(あだうち)がありました。この頃神谷の中心街では料亭や旅館が軒を連ね、高野山との往来の参詣者によって賑わっていました。仇討ちがあった地は賑わいから少し離れ下ったところです。そこには黒い大岩があり、「黒石」とよばれています。道の両側は深い谷で挟まれ、黒石は細い道にせり出しています。
現在の兵庫県赤穂市一帯の播州赤穂藩の家臣である村上真輔が相続問題により、反対派の者らに暗殺されました。文久2年(1862)12月のことでした。やがて、明治時代になりこの事件を知った長州藩が暗殺側の者らに高野山へ行き受難者の菩提を弔らい、逃れるよう勧めました。ところが、黒石では仇討ちをすべく村上方の一門が待ち構えていて、仇討ちが果たされました。近くには村人により建立された「殉難七士の墓」が残されています。
中世から近世にかけて喧嘩両成敗の法により仇討ちが認められていましたが、時代の流れで明治6年2月7日に敵討禁止令(かたきうちきんしれい)が出され、神谷の黒石付近で起こった仇討ちが最後の仇討ちとなったのです。
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