清水 勇人(さいたま市長) - 町 亞聖(フリーアナウンサー)
≪町 亞聖(まちあせい)≫
さいたま市出身、浦和市立高等学校(現:市立浦和高等学校)卒業。日本テレビにアナウンサーとして入社した後、2011年にフリーに転身。脳障害のため車いす生活を送っていた母との10年、そして両親をがんで亡くした経験から、医療と介護を生涯のテーマに取材、啓発活動を続ける。
0〜14歳の転入超過数が9年連続全国1位と、子育て世代に選ばれているさいたま市。同時にケアラー支援や認知症施策など、誰もが住みやすいまちづくりを進めています。
今年の新春対談は、高校生の時から母親の介護を続け、学業や仕事と両立させてきた経験などを活(い)かし、介護の現場からの情報発信や講演活動などでも知られるフリーアナウンサーの町亞聖さんが、「住みやすいまちさいたま」の未来について清水市長と語り合います。
■今や住みたいまちの常連さいたま市のポテンシャル
(町)昨年は住みたい街ランキングで大宮が2位、浦和も10位に入りました(※1)。ランキング上位に入り始めた頃、さいたま市で生まれ育った私もラジオ番組などで興奮気味にアナウンスしていましたが、市外の方もさいたま市の良さにようやく気が付いたかと(笑)。
(市長)本市は個性のある4市が合併して生まれたので、一言で特徴を表すことが難しかったんです。そこで、交通の要衝、強靭(じん)で災害に強い、環境、教育、健康とスポーツの5つの強みを考えました。これらの魅力に一層磨きをかけて、さいたま市らしさを深めていきたいと思っています。
(町)教育や健康などソフト面でも強みがありますね。0〜14歳の転入超過数もそうですし、3年連続で保育園の待機児童数ゼロもすごいと思います。
(市長)子育て世代に選んでもらえるまちになりたいと考え、子育て支援や英語教育などに力を入れてきました。教育面の充実が周知されると、子どもが入学するタイミングで本市への転入を考えてもらうきっかけになると思います。
■誰一人取り残さない誰もが住みやすいまち
(町)私は介護をテーマとして仕事をしてきたので、さいたま市が政令指定都市で初めてケアラー支援条例を施行したことを誇りに思います。特に、ケアラーを支援すべき関係機関の中で学校等の役割が強化されたことはよかったと思います。介護に悩んでも、子どもが市役所へ相談に行くのはハードルが高いですから。
(市長)さらに上の世代になるとダブルケア、つまり子育てと親の介護を両方行わなければならない人も多くなりますね。
(町)介護、教育、育児と分けて考えず「ケア」という言葉で包括的に取り組むべきだと思います。ケア先進都市として、ケアを受ける人、する人の垣根を超えてみんなが幸せになれる社会が理想です。
(市長)以前から、病気の予防、三次救急(※2)などの医療と福祉、そして認知症の方々をどう社会で支えるかに注力しています。政令指定都市で初めて認知症希望大使を任命したほか、昨年7月には「さいたま市認知症フレンドリーまちづくりセンター」をオープンし、認知症の当事者やサポーターによる地域活動の支援を進めています。
■「選ばれる都市」としてシンカし続けるために
(町)ヤングケアラーという言葉がなかった時代から、さいたま市の地域のつながりは強かったと思います。母の車いすを押して歩いていたら、声を掛けてくれたり、手伝ってくれたり。血縁のみならず地縁も強いまちだと感じます。
(市長)行政だけでなく、民間でもこうした活動に積極的に取り組んでくれるのが本市の特徴だと思っています。「住みやすい」と答えた方の割合が86・4%、「住み続けたい」と答えた方の割合が87・2%という数字(※3)は、市民の皆さんが作った数字ですね。
(町)よく「まちづくり」と言いますが、住んでいる方々がつながることで作られていくんですよね。私も、2025年はヤングケアラーがいる教育現場と福祉、医療、介護などの地域資源をつなげる「架け橋」の役割を果たしていけたらと思います。
(市長)2025年は団塊の世代のほとんどが後期高齢者になります。本市はこれまで「運命の10年」が重要な期間と位置付け、さまざまな施策を行ってきました。これからは「シンカの10年」として、今の住みやすさを保ちながら持続可能な都市として成長し続けるため、「選ばれる都市」としてシンカし続けたいと思っています。
(町)今の課題を私たちで解決して、次の世代にいいバトンを渡すために、小さいことからでも始めていかなければなりませんね。
※1.株式会社リクルート SUUMO住みたい街ランキング2024首都圏版
※2.重症者救急医療
※3.令和6年度さいたま市民意識調査
「運命の10年」から、「シンカの10年」へ
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