『源氏物語と武蔵野の原風景』
「ねは見(み)ねど あはれとぞ思(おも)ふ武蔵野(むさしの)の 露(つゆ)わけわぶる草(くさ)のゆかりを」
昨年話題となった「源氏物語」第五帖「若紫」の一文で、「まだ共寝はしていないものの、武蔵野の露をかき分けても見つからない草(源氏が思いを寄せる藤壺)にゆかりのある若紫を愛おしく思う」という内容の和歌です。ここに登場する「武蔵野」の範囲は、現在のふじみ野市を含む武蔵国全体と考えられています。しかし、作者紫式部が実際に武蔵野を訪れて和歌を作ったわけではありません。「武蔵野」は、自然豊かな風景を理想化した言葉でした。ただ、紫式部が想像した「武蔵野」と、実際の武蔵野は似ていたかもしれません。
また、「万葉集」にはこんな和歌が収められています。
「入間道の 大家が原の いはゐつら 引かばぬるぬる 我にな絶えそね(伊利麻治能(いりまじの)於保屋我波良能(おおやがはらの)伊波為都良(いはいずら)比可婆奴流奴流(ひかばぬるぬる)和爾奈多要曾禰(わになたえそね))」
「入間道の大家が原のイハイツラが引けば緩んで抜けるように、私との仲が切れてしまわないようにしてください」という意味で、「大家が原」が古代の大家郷(大井や富士見地域)を示す説があることから、旧大井地域で詠まれたと考えられています。「いはゐつら」はスベリヒユであるとも言われ、地面の上を這(は)い伸びる植物です。「万葉集」に遺された武蔵野の姿が、紫式部の「武蔵野」にも影響を与えていたのかもしれません。
この和歌の歌碑は、温泉施設のそばで見ることができます。5分ほど歩くと、復元大井戸も見学できます。新しい年の初めに、市の歴史をたどってみてはいかがでしょうか。
和歌の石碑
≪ACCESS≫
・大井2・16
・ふじみ野駅西口から徒歩20分
・ふじみん号Cコース「大井中宿」下車徒歩2分
問合せ:社会教育課
(【電話】049・220・2088)
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