■文化財は語る 第十回 屋敷地の立地と様相(3)
◇ノガタ(野方)の集落
竹間沢の集落に対し、上富・北永井・藤久保の景観は、集落の中央をほぼまっすぐな道が延び、道に沿って屋敷地、その奥に耕地、最奥に平地林の順に一屋敷分が短冊状に区画されています。これは短期間に、かつ計画的に開拓されたことによるものです。
道に沿って屋敷を並べていくという新田開発の手法は、近世初頭から始められた武蔵野台地上の畑作新田地帯、すなわちノガタ集落のほぼ全般に見ることができます。このような類例の多くは、飲料水を井戸に依存することが難しい土地条件であったため、道に沿って用水(上水)を流し、開拓者たちの飲料水をまかなおうとしたためとも言われます。道に沿って屋敷を構える「路村(ろそん)」と呼ばれる形態をとる地割は用水と切り離せない関係を持っていたものと考えられます。
三芳の畑作新田では、上富のように用水計画はあったものの、実際に用水が引かれたという記録がなく、深井戸を掘って水を得ているため、「路村」という形態をとった集落景観の成り立ちの要因が用水にあったとは、気付きにくいかもしれません。
三芳のノガタのように用水は通らずとも道に沿って一軒分の開拓地を短冊状に区画し、屋敷続きに耕地や平地林を配置することは、農業効率を高め持続可能な農業経営ができることにつながっているのです。
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