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みよし歴史探訪

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埼玉県三芳町

■れきしとくらし 第三十三回 本村南遺跡その(2)
前号では、本村南(ほんむらみなみ)遺跡で発見された籾跡(もみあと)のついた弥生土器片をもとに古くから稲作が行われていたことを紹介しました。今号では、弥生時代の墓のひとつの方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)とその周辺から発見された土器などについて紹介します。

○有力者と方形周溝墓
弥生時代に入ると、各地に稲作が普及し始めます。稲作は集団で作業が行われるため、集団を統率する有力者が現れ、その有力者の墓が方形周溝墓だと考えられています。
方形周溝墓は、方形の溝(みぞ)に囲まれた墳丘(ふんきゅう)(盛土)を持つ墓です。墳丘の中心にある主体部(しゅたいぶ)は、有力者の埋葬(まいそう)施設とされています。

○本村南遺跡の方形周溝墓と土器
本村南遺跡では、方形周溝墓が3基確認されています。墳丘が削られていたため、主体部は残っていませんでしたが、方形に巡る溝の中から多くの土器が出土しました。その土器の中には、「ベンガラ」と呼ばれる酸化鉄からとれる赤い顔料(がんりょう)で塗られた土器や、底や胴に穴が空いている特殊な土器があります。古来より「赤色」は、血の色や太陽を連想でき、生命を象徴しているとされ、儀式や呪術的な意味があったと思われます。また底や胴に穴が空いた土器は、わざと穴を空けることによって、日常生活で使用することが目的ではなく、これを墓のまわりに並べることで、墓の領域が日常の領域とは違うことを示すものであったと考えられます。
現在方形周溝墓から出土した土器などは、歴史民俗資料館で見ることができます。

問合せ:文化財保護課
【電話】258-6655

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