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みよし歴史探訪

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埼玉県三芳町

■れきしとくらし 第二十八回 俣埜遺跡 その(1)
俣埜(またの)遺跡は、藤久保の俣埜公園の付近から藤久保かまくら通りの西側に広がる遺跡です。昭和52年に実施された最初の発掘調査以降、これまでに試掘・発掘調査が計33地点で行われ、旧石器時代の石器・礫群、縄文時代の住居跡、平安時代の須恵器窯(すえきかま)跡など、各時代の遺構・遺物が発見されています。

■俣埜遺跡の製鉄遺構について
俣埜遺跡の発掘調査では、三芳町で初めて、古代の製鉄関係の遺構が発見されました。
古代の製鉄は、木炭(もくたん)と砂鉄(さてつ)を粘土(ねんど)で固めた炉(ろ)に入れて、高温で熱し、鉄の素材を作り出します。砂鉄はすぐ近くを流れる川から集め、木炭は周辺の木を伐採(ばっさい)し、炉を作る粘土は地面を掘って採取したと考えられます。平成16年~17年度に行われた発掘調査の際には、木炭を作る木炭窯や粘土を採取したと考えられる穴の跡が見つかりました。
また、現在のスイミングスクールの駐車場部分からは、奈良時代の製鉄作業場跡のほかに、住居跡3軒などが見つかりました。製鉄作業場跡は、斜面を掘り込んで平らな作業場を作っており、鉄滓(てっさい)(鉄を作る際の鉄クズ)や羽口(はぐち)(製鉄炉への送風の為の土製の管)、鋳型(いがた)などの製鉄に関する遺物が出土しています。さらに同時代の住居跡3軒からも、鉄滓が確認され、製鉄作業にかかわる人々の住まいであったと思われます。
これらの成果から、鉄製品を作るための一連の作業が、この俣埜遺跡の地で計画的に行われていたことが明らかになりました。

問合せ:文化財保護課
【電話】258-6655

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