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みよし歴史探訪

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埼玉県三芳町

■れきしとくらし
第三十四回 本村北遺跡

本村北遺跡は、竹間沢字北側を流れる小河川(通称:盆川)が形成した谷の南斜面一帯に広がる遺跡です。
昭和55年に実施された最初の発掘調査以降、これまでに計7地点で開発を伴う発掘調査が行われ、縄文~平安の遺構・遺物が確認されています。

○本村北遺跡出土の墨書土器
墨書土器とは、土師器(はじき)や須恵器(すえき)などの土器に墨によって文字や絵画が書き込まれているものをいい、主に奈良・平安時代の遺跡から発見されることが多い資料です。また文字・絵画が示す意味としては、地名の一部や建物や施設の場所、人の名前など様々です。
平成26年度に行われた調査で、平安時代の住居3軒が確認され、そこからは、土師器片や須恵器片、土製の紡錘車(ぼうすいしゃ)(コマのような形をした糸を紡ぐ道具)などの他、三芳町で初めて墨書土器が1点発見されました。
本村北遺跡で発見された墨書土器は、大きさ約13cmの「坏(つき)」と呼ばれる土器で、内側の底に「□(しかく)に大(だい)」の文字が墨書で書き込まれています。これまでに三芳町で土器に文字が書かれている例としては、焼成前の土器にヘラ状工具で「福」・「麿」・「太」と書かれた須恵器片や、文字瓦の「大」などがあります。「太」・「大」の類例から漢字の「因」や「六」ではなく、「□に大」と判読しています。また文字の示す意味としては、地名や人物名の一部を表していると考えられますが、詳細は明らかにはなっておらず、今後の調査によって判明していくかもしれません。

問合せ:文化財保護課
【電話】258-6655

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