■れきしとくらし 第三十五回 三富開拓地割遺跡 その(1)
三富新田(さんとめしんでん)は、三芳町の西部域にあたる上富(かみとめ)地域から所沢市東部域の中富(なかとみ)・下富(しもとみ)地域に広がります。今から約330年前の江戸時代元禄(げんろく)年間に、当時川越藩主であった柳沢吉保(やなぎさわよしやす)の命により、開拓が進められました。現在でも、開拓された当時の畑作新田の景観を残していることから、三富開拓地割(さんとめかいたくじわり)遺跡として埼玉県の旧跡に指定されています。
○三富と水
三富の開拓にあたっては、いくつかの苦労がありました。そのひとつが生活に必要な水を得ることです。
上富地域の近くには、河川がありません。開拓が進められて間もない頃、水を得るために、多摩郡箱根ヶ崎(たまぐんはこねがさき)(現在の東京都瑞穂町)の池より水路を引く計画がありました。この水路は、文久3年(1863年)の上富村地割絵図(かみとめむらじわりえず)に描かれていますが、実際に水路をひく計画は実現することが叶わなかったようです。その代わりとして三富全域で11ヶ所の深井戸(約22m)が掘られて数軒が共同で利用することで水を得ていました。それでも、渇水期はその深井戸さえも水が枯れてしまい、数km離れた柳瀬川まで歩いて水を汲みに行ったとも言われています。
次号では、三富開拓地割遺跡の発掘調査で発見された水路と思われる「溝跡」について詳しく紹介します。
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