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武蔵野線と三郷市 Musashino Line Misato City(2)

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埼玉県三郷市

◆武蔵野操車場の歴史
武蔵野操車場は、列車の編成や車両の入れ替えなどを行う場所でした。当時は、コンピューター制御の操車場として日本一の大きさを誇っていました。

○国内最大規模の操車場
昭和40年に、長さ約4.5km、最大幅約250mの武蔵野操車場の建設が発表されました。武蔵野操車場は、昭和49年に首都圏の貨物輸送の改善のために、三郷駅と吉川駅の間に造られました。操車場の北側にコントロールセンターがあり、当時最先端のシステムが使用されていました。

武蔵野操車場は約10年間活躍しましたが、国鉄の経営悪化や輸送事情の変化により、昭和59年に運用停止。昭和61年に正式に廃止されました。
周辺地域でみさと団地の人口が増加したことで駅の需要が高まり、昭和60年に新三郷駅が開駅しました。当時は広大な操車場を挟む駅であったため、上下線のホームが非常に離れており、話題にもなりました。

○過去にはこんなイベントも!
昭和61年、武蔵野操車場で車両を見学できるイベントがあったそうです。こちらに参加された藤富さんは、まだ小学生でした!

地元を中心に伝わったイベントだったので、機関車にも乗ることができ今では考えらないアットホームなイベントでした。たくさんの機関車が勢揃いしており、貴重な資料が多く今でも当時の写真を見返して楽しんでいます。

○操車場からにぎわいと笑顔あふれる新三郷ららシティへ
新三郷駅はその後平成11年に改築され、上下線のホームが現在のような形になりました。
また、武蔵野操車場の跡地は、平成19年に開発が行われ、その翌年に新三郷ららシティが誕生しました。
現在、新三郷ららシティには、ららぽーと新三郷やコストコ新三郷倉庫店、イケア新三郷など、大型商業施設が集結しています。交通の利便性の良さから市内外から多くの人が集まり、まちににぎわいをもたらしています。

50年前に誕生した武蔵野操車場は、人々の暮らしを支えたのち、新三郷ららシティとして生まれ変わり、まちを盛り上げています。

◆なつかしの武蔵野線
○武蔵野線開通当時
昭和48年4月1日には武蔵野線開通式と三郷駅開駅式が行われたほか、開通を祝う装飾がされた列車の運行などもありました。広報みさとでも大きく取り上げており、市民の皆さんの関心が高かったことがうかがえます。

武蔵野線は、すべて立体交差で作られ、今に通じる新しい規格の路線です。新しいまちに踏切のない新しい路線ができて、期待が大きかったかと思います。
車両は中央線から改造された101系で、オレンジ一色が懐かしいですね。ただ、沿線人口の増加に車両が追い付かず、首都圏各地から車両が集められて冷房化も後回し。色の塗り替えも間に合わず、各路線の車両が入り混じったカラフルな車両編成の時代もあったんですよ!

○武蔵野線開通時に作成されたリーフレット
当時では珍しかった自動改札機や自動精算機、定期券発行機などが設置されたため、リーフレットには時刻表、運賃表、路線図に加え、機械の使い方案内等が掲載されていました。

■インタビュー
◆駅長インタビュー
Q.武蔵野線が開通したころのことで印象に残っていることはありますか?
A.真っ先に思い浮かぶのは、当時最新鋭のシステムと日本最大の規模を誇った貨物列車の入換駅だった「武蔵野操車場」です。先輩社員から聞いた話では、日本各地から昼夜を問わずたくさんの貨物列車が次々と発着し、とても活気があったと聞いています。

Q.駅長に就任されてから感じた三郷駅、新三郷駅の印象を教えてください。
A.三郷駅付近では花火大会の開催、新三郷駅付近には商業施設が多いことなどから、県内はもちろん県外から多くのお客さまにもご利用いただいていると感じています。

Q.武蔵野線の魅力はどのようなところでしょうか?
A.東京メガループ(東京圏の鉄道外郭環状線)として、数多くの鉄道路線とのつなぎ目を持つ大動脈を担っています。そのアクセスの良さを生かし、目的地まで乗り換えなしでご利用いただける臨時列車等を、土休日を中心に運行しています。

Q.地域の皆さんへのメッセージをお願いします。
A.武蔵野線開通当初は風の影響を受けやすく、お客さまにご迷惑をおかけすることがありましたが、防風柵の設置等の設備工事を進め、輸送混乱等の発生も最小限に抑えることができたと感じています。
安全安定輸送を確保して、お客さまを安全に安心して目的地までお運びすることが第一の使命だと考えており、今後も、地域の皆さまにご満足いただき、愛され親しみのあるJR東日本グループを目指してまいりますので、引き続きのご愛顧よろしくお願いいたします。

吉川美南駅 木村俊樹駅長
(三郷駅、新三郷駅管理)

JR東日本公式YouTubeチャンネルで、武蔵野線開通50周年を記念した動画を公開しています。左の二次元コードからご覧いただけます。
※二次元コードは本紙をご覧ください。

◆藤富さんインタビュー
Q.ご自身のなかで一番古い武蔵野線の思い出は?
A.記憶にはないのですが、よちよち歩きの赤ん坊の時に、江戸川の土手で武蔵野線を見ている写真があります。生まれ持っての鉄道好きなんでしょうね。

Q.幼少期の武蔵野線の様子は覚えていらっしゃいますか?
A.貨物列車が中心で、なかなか電車がやってこないのが武蔵野線でした。夏は車両の窓が開いていて、モーターの音がよく聞こえました。みさと団地で、武蔵野操車場の貨車を繋ぎ変えるガシャーンという音を聞きながら育ちました。

Q.藤富さんにとっての武蔵野線の印象は?
A.東京からの放射状ではなく環状線なので、13駅で他路線と乗り換えることができ、どこへもショートカットで行けるのが魅力です。開通時から踏切がなかったり、自動改札があったりと、今の技術に通じる路線です。安全に乗ることができるのが武蔵野線かなと思います。

Q.武蔵野線50周年にどんなお気持ちですか?
A.新しい路線と思っていたら、50年というと随分経ちますよね。
通学で使っていた30年前は、大雨で築堤が崩れたり駅が水浸しになったり、強風や雪ですぐに止まったりと、災害に弱いことで知られていましたが、今では対策が施されており、災害に強い路線になってきました。50周年を機に新車の香りがする新形式が入って欲しいですね。

Q.市民の皆さんへのメッセージをお願いします。
A.武蔵野線は環状線ということもあって、通勤電車だけでなく、貨物列車や臨時列車も走ってきます。「列車が通過します」というアナウンスのときにがっかりするのではなく、見上げて列車を見てみてください。
種類も豊富で、北海道から九州まで行先も目的地もさまざまです。日本の線路が全国に繋がっているロマンを感じられるかなと思います。

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