川の立体交差~瓦葺掛樋~ 原市 赤石 光資(こうすけ)さん
JR宇都宮線の蓮田駅と東大宮駅の中程にある鉄橋は綾瀬川の上に架かっています。この鉄橋の200メートル上流に、江戸時代に架けられた木製の見沼代用水の掛樋(かけどい)がありました。蓮田市と瓦葺にまたがって築造された「瓦葺掛樋」と言います。
享保13(1728)年に木造で創設され、その後に幾度も修理や架け替えをしながら明治41(1908)年に鉄製の樋になりました。昭和36(1961)年にはこの鉄製樋が伏越(ふせごし)に改造され、れんが製の橋台と翼壁が綾瀬川沿いに現存しています(写真)。このれんがは、東京駅舎のれんがを製作した深谷市の日本煉瓦(れんが)製造(株)製で「上敷免製(じょうしきめんせい)」という極(ごく)印が、れんがの面に残っています。
見沼代用水は、江戸時代の8代将軍・徳川吉宗の命を受けた井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)が、見沼溜井(ためい)(さいたま市東部)を干拓して新田開発し、沼に代わる用水を新田へ導くために開いた水路です。流路は、利根川から取水して見沼田んぼへ注ぎ込んでいます。総延長は約80キロメートル、16市2町の流域に開かれています。利根川の取水口から見沼田んぼまでには河川と交差する所が6カ所あります。江戸時代、その6カ所の交差では上流4カ所が掛樋、5番目が伏越と掛樋で元荒川を渡っています。6番目の綾瀬川では掛樋交差でしたが、現在は伏越交差になっています(図)。
江戸時代に元荒川と綾瀬川の交差では掛樋によって水位(河床)を高くしなければならなかった理由があります。見沼田んぼの北端の標高が約7メートルだったため、その上流部(北部側)を高くしないと見沼田んぼへ水が流れ込むことができなくなってしまうからです。このような理由から、蓮田市・瓦葺に掛樋を掛けて見沼代用水を高めに造り通したのが江戸時代の掛樋でした。
見沼代用水は令和元年に「世界かんがい施設遺産」に登録されました。日本国内で37施設目、埼玉県内では初の登録です。
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