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令和6年能登半島地震から学ぶ「もしも」の前に―(1)

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埼玉県加須市

【能登半島地震発生から1年を迎える前に】
平成7年1月に起こった阪神・淡路大震災では、地震直後にがれきの下敷きになり自力で脱出できなくなった要救助者約3万5千人のうち、約2万7千人が近隣住民によって救出されました。いつ起こるか分からない地震。被害が大きいほど、行政の迅速な救援だけでなく、地域の防災力が重要とされています。
大型台風、線状降水帯、地震。備えが必要なことは分かっていても「熱心に防災に取り組む余裕はない」というのが正直なところかもしれません。それでも、そんな本音はお構いなしに、災害はやってきます。
令和6年1月1日に発生した能登半島地震からもうすぐ1年が経とうとしています。予期せぬ「もしも」の前に、あなたの大切な人の命を守るための「備え」について、一緒に考えてみませんか。

【被災地支援を経験して―】
◆Interview1 済生会加須病院災害対策室 室長 奥野史寛(ふみひろ)さん
○「何もできなかった」と後悔しないために
災害派遣医療チーム(DMAT(ディーマット))※として、1月29日から2月2日までの5日間、能登町の保健医療福祉調整本部で活動し、病院や診療所などの業務調整・ヒトとモノの支援による医療現場の再構築に努めました。能登町では、電気は使えるため、暖を取ることに大きな問題はありませんでしたが、地震から1カ月が経っても断水は続いており、衛生環境には課題がある状況でした。
現場で意識していたのは、被災者に寄り添い、話をよく聞き、必要な支援を見定めることです。例えば「医療ニーズはありますか」と聞くと「特にありません」と答える病院に「お困り事はないですか」と尋ねると、必要な支援が見つかることがあります。ライフラインが絶たれるなど、過酷な状況に陥れば、視野が狭くなってしまうこともありますが、こちらの聞き方で変わるものがあります。

○被災地に学び、自分にできることから
阪神・淡路大震災、東日本大震災、これまでのどの震災の際も、言葉で言い表せるものではないかもしれませんが、被災地の皆さんは本当に頑張っています。震災のたびに、備えが見直され、改善が進められていますが、反省は尽きず、それぞれに失敗と学びがあると感じています。
一方で、被災地から離れた場所では、どうしても他人事として捉えられていると感じる瞬間があります。大地震が起こる前に、一人ひとりが自分の身は自分で守るという意識を持つこと、身近な人にも防災意識を高めてもらうために、どうしたらいいのかを考えることが必要だと思います。
まずは、年に1回でも構いません。家族で災害時の決め事を確認する機会をつくってほしいです。また、いざというときに助け合えるご近所とのお付き合いも大切にしてください。

※災害発生直後に、機動性・専門性を活かし、被災地で多岐にわたる医療的支援を行うチーム

◆Interview2 加須市 危機管理防災課 髙橋主幹
○共助の力を再認識
避難所の運営支援のため、1月22日から29日までの8日間、七尾市の中学校に派遣されました。避難所では電気を使えましたが、暖房器具に限りがあり、避難者の生活スペースである体育館は非常に寒かったです。また、水は使えましたが、水質検査ができていないため、安全性を考慮し飲用水は支援物資頼りでした。
地震からおよそ1週間後には、物資や人の応援が届いていて、被災後の3日から1週間を備蓄で耐えることの大切さを、再認識しました。まずは備蓄が大切で、その自助が共助の土台となり、避難所の助け合いが生まれ、限りある公助が最大化されると感じています。引き続き、七尾市での学びを市の防災対策に活かしていきます。

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