「親ガチャ」って言葉を聞くようになったのはいつからだろう。
格差。分断。閉塞感。
こどもたちを取り巻く環境は、厳しい時代に来ているのかもしれない。
でも。だからこそ。
今、北本市で、こどものために手を取り合う人たちがいる。
こども食堂があちこちで開催され、寄付などの支援は絶えない。
世の中に暗いニュースや悲しい出来事は多くても、小さな善意がつながるこのまちには、確かな希望がある。
自分らしく笑えてないと感じるきみを。
大きなプレッシャーの中で子育てするあなたを。
「いつも」「ここで」まってる人たちがいる。
今回は、そんな人たちがつくる、こどもの居場所で話を訊(き)いた。
問合せ:市長公室シティプロモーション・広報担当
【電話】594-5505
■ライブハウスは「ここなら絶対大丈夫」と思えた場所。今度は私が誰かにとってのライブハウスみたいな存在になりたい。
「おばあちゃんになったら駄菓子屋をやるのが夢でした。でも、今やってもいいんじゃない?って気づいたんです」そう話すのは、北本団地で『みんなのだがしや ビーム』を開催する大宮和奏(わかな)さんだ。
これまで、さまざまな「居場所」と出会ってきた和奏さん。小学3年生までは北本団地で育った。「今よりも活気があって、公園に行けばいつも誰かがいました。大学生が物々交換の場『リビングルーム』を開いていて、そこにも出入りしてましたね」と当時を振り返る。今にして思えば、団地は確かに自分の居場所、面白いことができる場所だった。
15歳のころ、流行や周りに合わせることを窮屈に感じていたときにライブハウスに出会った。他者と違った表現が認められる場で、ありのままで居られるようになった。「ライブハウスが〝ここに来れば絶対大丈夫〟な場所になってから、居場所自体に興味を持つようになりました。自分も、誰かにとってのライブハウスになれたら良いなと思うようになったんです」
大学では、主に学校教育を学んだ。学童保育のボランティアに参加したことで「こどもの貧困」という言葉に出会い、こどもたちそれぞれが多様なバックグラウンドを持っていることを知った。しんどい思いをしている子がいるなら、できることをしたい―そうして思いついたのが、駄菓子屋でのこどもの居場所づくりだ。北本で出会った大人たちに背中を押され、今年の2月16日から4月5日の毎週金曜日に、北本団地のシェアキッチン『中庭』で『みんなのだがしや ビーム』を開催した。「ここに来た子と一緒にビームのチラシを配ったり、SNSを見た親御さんがこどもを連れてきたり、団地の名物おじさんも遊びに来たりして、毎回とにかく濃かったですね」
お金を持っていない子が来た時は、「お店屋さんごっこしない?」と提案して、一緒に段ボールでお菓子やお金を作って遊んだ。「普段は家で何もしてない」という子が、金曜日はビームに来るようになった。
「『わかなっち』って呼んでくれる子が増えたのが嬉しいですね。大学生は親や先生、友だちとも違って、〝ナナメの関係〟(※)を築くことができる存在。だからこそ、こどもたちと仲良くなれたんだと思います。私自身も、いろんな大人と関わりができて、最初は一人でやらなくちゃって思ってたのが、頼っていいんだ、相談しようって〝頼り上手〟になった気がします」
「ビーム」は8月30日から第2弾を開始している。
※親でも教師でもない第三者とこどもとの新しい関係
〔大宮和奏さん〕
教育学部の大学4年生。北本団地出身。あだ名は「わかなっち」。こどものころの将来の夢は「プリキュアになる」。音楽とカメラが好き。
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