~パリ2024パラリンピック競技大会車いすラグビー日本代表~
中町俊耶(なかまち・しゅんや)
1994年8月30日生まれ、北本市出身。大学在学中に事故で脊髄の障がいを負う。2015年から車いすラグビーを始め、2021年には東京パラリンピックで銅メダル獲得。パリパラリンピックでは全5試合中4試合に出場し、車いすラグビー日本代表初となる金メダルを獲得した。背番号14、クラス2.0。
この夏、いくつもの熱い闘いが繰り広げられたパリ2024パラリンピック競技大会。北本市出身の中町選手が所属する車いすラグビー日本代表が、史上初の金メダルを獲得しました。世界を舞台に活躍した中町選手に、自身の目標としていた「金メダルを獲る」を叶えた今の思いなどを訊(き)きました。
■改めて、今回のパリ2024パラリンピックで金メダルを獲得されてのお気持ちを伺えますか。
東京パラリンピックでは、金メダルを期待されながら銅メダルという結果で終わり、悔しい気持ちしかありませんでした。パリでは絶対に金メダルを獲ると仲間と誓い合っていたので、その目標を達成できたことが何より嬉しかったです。
「チームの力になりたい」と、この三年間たくさんの事を犠牲にしながら目標のために取り組んできました。苦しみ悩んだ時期も多かったですが、全てが報われたような気がします。
金メダルを首にかけた時の気持ち、景色は一生忘れることのない最高なものでした。
■8月号のインタビューで、大会に向けて強化してきた部分や強みのお話がありましたが、ご自身の中での評価はいかがですか。
チームとしては最高の結果を収めることができましたが、正直、個人の内容には満足していないです。
自分の強みだと思っていたものも強いプレッシャーで封じられ、まだまだここ一番で結果を出せない自分の実力不足を突きつけられました。
これもまた自身の成長の機会と捉え、成功と失敗を繰り返しながら自分の理想の姿を追求していきたいと思います。
■大会中、ご自身の中で印象的だった出来事を教えてください。
予選第2戦のアメリカ戦(8月30日)がちょうど僕の誕生日でした。
普段はアップコートから試合を行うメインコートに移動し、輪になって全員で声出しをしてから試合前の準備をする、という流れなのですが、その日はキャプテンの池さんの合図で、みんなが僕にハッピーバースデーを歌ってくれました。
全く想像してなかったのでびっくりしつつ、みんなの温かさに気持ちが高ぶりました。試合にも勝つことができて、最高の1日でした。
■帰国後、自分へのご褒美やリフレッシュなどはされましたか。
海外遠征に行く前はうなぎを食べる、というルーティンがあるのですが、今回はタイミングが合わず…。代わりに帰国後に食べたうなぎは最高でした。なかなか友だちと会う機会も取れていなかったので、今はメダル報告を兼ねて楽しい時間を過ごしています。
■帰国後の会見で「次のロスパラリンピックでは日本代表の中枢選手になりたい」とコメントされていましたが、目標に向けて今後、特に力を入れたいことなどはありますか。
パリ大会では、改めて他国選手のフィジカルの強さに驚かされました。闘う上で基盤となる走力、パワーをもっともっとつけなければと感じています。
今後は、特に走力に力を入れて自分の可能性を広げ、世界に注目される選手に成長していきたいです。
また、今は出場できるラインナップ(コートに出る選手の組み合わせ)が1つしかないので、ロスでは2つ、3つと出場できるラインナップを増やして、チームの中心になっていきたいです。
■中町選手を応援する市民の皆さんへ、メッセージをお願いします。
たくさんの応援、ありがとうございました!
皆さんの応援が力となり、悲願の金メダルを獲得することができました。壮行会では「金メダルを獲ってくる」と宣言して自分自身にプレッシャーをかけていましたが、有言実行できてホッとしています。
今回のパラリンピックで初めて車いすラグビーを知った人も多いと思います。是非、各大会の会場に足を運んで、スピード感や激しさ、タックル音を見て感じてもらえると、より車いすラグビーの魅力が伝わると思います!
僕たち日本代表チームの挑戦はまだまだ続いていくので、これからも応援よろしくお願いします!
〔中町選手の活躍を応援!〕
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(一般社団法人日本車いすラグビー連盟ホームページ)
〔とまちゃんがパリへ?!〕
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