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〔特集1〕私たちのデーノタメ遺跡(1)

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埼玉県北本市 クリエイティブ・コモンズ

10月11日に掲載された官報告示により、ついに国指定史跡となったデーノタメ遺跡。
発見から55年となるこの遺跡は、まちの大きな宝としてすでに多くの人に親しまれています。今回、日本を代表する縄文遺跡となったデーノタメ遺跡の概要を改めてお届けするとともに、デーノタメ遺跡を様々な視点から楽しむ市民の皆さんをご紹介します。

問合せ:文化財保護課
【電話】594-5566

■デーノタメ遺跡ってどんな遺跡?縄文時代の生活を知る
◇竪穴住居跡
縄文時代の家は、図(本紙参照)のような竪穴住居が一般的です。土を半地下に掘りくぼめ、柱を立て、炉(火を焚(た)く場所)を置いた構造になっています。炉には下半分を割った土器を埋め、囲炉裏(いろり)の枠(わく)として使っていたようです。近年では、屋根の一部に土が葺(ふ)かれていたことがわかっています。

◇土器・石器
縄文時代を代表する遺物が土器と石器です。デーノタメ遺跡では多数の土器が出土しており、主に食べ物を煮たり、加工したりする「鍋」として使われました。石器では、石鏃(せきぞく)(やじり)、打製石斧(土掘り具)、磨製石斧(木などを切る斧)、石皿・磨石(すりいし)(粉をひく道具)などが出土しています。

◇有機遺物の数々
デーノタメ遺跡の特徴でもある低地遺跡からは、縄文人が食べたクルミの殻(核)を大量に捨てたクルミ塚や、漆塗土器、木の実や植物の種、木材、花粉、昆虫の羽など、通常なら腐ってしまう遺物が大量に出土しています。縄文人の生活に迫ることのできる、貴重な情報です。

■デーノタメ遺跡とは
江川支流の台地上から低地に広がる、縄文時代中期から後期まで約1500年にわたって営まれた集落遺跡。特に中期の環状集落は長径210メートル、短径170メートルと「関東最大級」の規模を誇り、遺跡の規模は約6ヘクタールと広大です。
昭和40年代までは、遺跡の範囲内に「デーノタメ」と呼ばれる湧水によるため池が存在し、縄文時代には重要な水源であったと考えられています。遺跡名の「デーノタメ」とは、このため池の名前が由来になっています。

■転機となった低地遺跡の調査(第4次調査)
平成12年以降に実施した継続的な発掘調査の結果、台地上に大規模な集落跡が広がり、市にとって重要な遺跡であることはこの頃から認識されていました。
その後、平成20年に集落の水場であった低地遺跡の発掘調査を行った際、大量の植物の種や実、漆塗土器、昆虫の羽が見つかったことで評価が高まり、全国的にも注目される遺跡となりました。

■デーノタメ遺跡の価値
このように、デーノタメ遺跡の低地遺跡では、通常では腐ってしまう遺物が水中で真空パックの状態で残されています。こうした水場が台地上の大規模な集落跡と一体的な生活空間として残されている、全国的にも珍しい遺跡として非常に高く評価されています。
当時の人々の生活や植物の利用実態がよくわかり、気候変動があったといわれる縄文時代中期から後期の間に、人々が環境変化にどのように適応し、くらしていたのかを理解するための、重要な手がかりとなる遺跡なのです。

■今後の予定
国指定史跡になることはゴールではありません。国を代表する重要な文化財となったデーノタメ遺跡を、永く未来に伝えていくということであり、むしろスタート地点といえます。
デーノタメ遺跡の公有地化を進めつつ、文化財保護法にうたう「保存活用計画」を策定し、史跡整備(史跡を保護し、活かすための取組み)を進めていきます。
この遺跡をどう適切に保存していくのか、そして、この遺跡の魅力や価値を、どうしたらより多くの人たちに伝えることができるのか、皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

◇デーノタメ遺跡のこれから
・文部科学大臣への意見具申
・国の文化審議会の答申
・国指定史跡の告示(国指定)〔←今ここ〕
・史跡指定範囲の測量
・「デーノタメ遺跡保存活用計画」の策定
・公有地化の開始
・史跡公園等の整備

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