中町俊耶(なかまち・しゅんや)
〔パリ2024パラリンピック競技大会車いすラグビー日本代表〕
1994年8月30日生まれ、北本市出身。大学在学中に事故で脊髄の障がいを負う。2015年から車いすラグビーを始め、2019年に国際大会初出場、2021年には東京パラリンピックで銅メダル獲得。パリ2024で二度目のパラリンピックへ。背番号14、クラス2.0。
■東京からパリへ 悲願の金メダルに向けて
8月28日開幕を目前に控えたパリ2024パラリンピック。この4年に1度の祭典に、北本出身の車いすラグビー選手・中町俊耶さんが東京パラリンピックに続いて出場します。北本での思い出や東京からパリへ至るまで、そして悲願の金メダル獲得への思いなどを訊(き)きました。
「障がいのある僕が一生懸命がんばる姿で勇気や希望を届けたい」
◇北本市で過ごした中で、思い出深い場所はどこですか。
深井スポーツ広場です。野球を始めた小1の頃から練習や試合をした場所なので、負けて悔しくて泣いたり、小6の秋の大会では優勝できたりと、たくさんの思い出がつまっています。中学生の頃は、クラブチームの仲間たちと帰宅後に深井スポーツ広場に集まり、みんなで暗くなるまで練習していました。
◇車いすラグビーとの出会いと、その魅力について教えてください。
国立障害者リハビリテーションセンターに入院中、現在ともに代表選手としてプレーしている小川仁士選手に誘われて見に行ったのがきっかけです。
選手にはそれぞれ障がいがあり、できること、できないことがあります。それをお互いに補い合いながらトライを目指していくことがこの競技の好きなところです。
◇東京2020パラリンピックでは日本代表に選出され、銅メダルという結果も残しました。その後、パリ2024パラリンピックに向けて、どのようにモチベーションを維持し、準備をしてきたのでしょうか。
僕自身、遠いところに目標を置いてトレーニングすること(東京後からパリまでのように)が苦手なので、とにかく1日1日のトレーニングを濃いものにすることを心がけてきました。その中で自分の改善点を克服し、国際大会で結果を出すことで、モチベーションを維持してきたと思います。自分の課題として取り組んできたことは攻守の切り替え(トランジション)です。チームのやりたい形を実現し、相手チームのやりたいことをさせないこと。自分たちで先手を取ってゲームを有効に進めていくことを意識して取り組んできました。
◇ご自身の得意なプレーや注目してほしいプレーは何ですか。
幼い頃から野球をしていたこともあるのでボールハンドリング、ボール感覚には自信があります。短いパス、長いパスでも精度を落とさずに通すことができるのが自分の最大の武器だと思っています。パラ本番でもパスを求められるシーンでは必ず成功させたいと思います。
◇パリパラリンピックでの目標・意気込みと、市民の皆さんへ向けたメッセージをお願いします。
東京パラリンピックでも金メダルを目標に掲げて取り組みましたが、力及ばず銅メダルという結果に終わりました。また、個人としても出場機会がほとんどなく悔しい経験となりました。
今回のパリパラリンピックでは悲願の金メダルとともに、個人としてコート上でチームに貢献する活躍をすることが目標です。
自分が日本代表としてパラリンピックの舞台でプレーすること、最高の結果を出すことで北本市の皆さんに勇気や希望を届けたいと思います。車いすラグビー日本代表チームに向けて熱い応援よろしくお願いします!
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