◆高山接骨院
まちの見聞特派員 金澤 里美
「駅のホームからモスバーガーの開店セールの長い列を見た時、私はここに開業しようと思ったんだ」そう語るのは、和光市が大好きな高山繁先生です。この街が和光市という名になった時、先生は埼玉病院でリハビリの仕事をしていました。そこで出会った患者さんが、高齢ゆえにもうケガが治らないのではと落ち込んでいたことが先生の心に残っているといいます。自分がたくさん勉強をすればきっと患者さんの笑顔も増える。その思いで頑張り続けることができているのだといいます。また、患者さんの気持ちに寄り添った言葉をかけようと日々心掛けているそうです。
和光市ができて間もないころは、砂利道や暗い道が多く、雨の日に成増駅からタクシーで和光の自宅に向かっていたところ、「こんなに何もなくてとんでもないところだなんて」と途中で降ろされてしまったといいます。また、外環の工事では、はるか昔に海だった砂地が見えた思い出もあるそうで、和光市の歴史博士というべき一面もあります。
そのような頃から和光市のにぎやかな未来が見えていた先生は、和光市はまだまだ伸びるといいます。交通の便が良く、若い世代が多くて活気があり、この地に開業できてよかったとお話ししてくださいました。
お休みの日には好きな歴史のゆかりの地を訪れたり、駅の近くのザバスで泳いで体力づくりに励まれています。これからも、先生のますますのご活躍を願ってやみません。
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