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【特集】寄居町合併70年のあゆみ(1)

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埼玉県寄居町

昭和30年(1955年)2月11日、当時の寄居町、折原村、用土村、鉢形村、男衾村が合併し、今の「寄居町」が誕生しました。そして、令和7年(2025年)2月11日に寄居町は合併70周年を迎えます。
今回の特集では寄居町の合併から現在に至るまでのあゆみを振り返ります。

■表紙の人
▽幾瀨さん
寄居町出身、東京都在住
今月号の表紙は昭和32年ごろ、玉淀駅のホームで電車を待つ女の子。当時の思い出をご本人から伺うことができました。
「祖母が電車で東京に出かけるときに荷物運びを手伝い、玉淀駅で見送りました。この写真はそのときのもので、おそらく兄が撮影したものでしょう。叔父や叔母が東京に住んでいたこともあって、東武東上線に乗って、デパートや上野動物園、豊島園に行きました」
子どもの頃の様子について伺うと「岩崎公園で運動会や盆踊り、当時は公園に舞台があって演劇や映画を楽しみました。スーパーはなかったので、商店街で買い物をしました。ネオンや街灯の輝きで商店街はにぎやかでした。お店の名前は今でも覚えていますよ」と当時を振り返ります。合併70周年を迎える寄居町については「『住みたい』『働きたい』と思えるような活気にあふれた町になってほしいと願っています」と話してくれました。

■振り返るあの時代この時代
昭和30年代、日本全体が高度経済成長の時代に入り、国民生活は大きく変化しました。寄居町でも大きな変動の中で、水道・道路・学校などの生活基盤の整備が行われました。

▽1955-
〔1955〕昭和30年 寄居町、折原村、用土村、鉢形村、男衾村が合併し、新寄居町が誕生円良田湖(ダム)が完成
〔1956〕昭和31年 第1回合併記念駅伝競走実施
〔1957〕昭和32年 新正喜橋開通
〔1959〕昭和34年 折原中学校と鉢形中学校を統合し、城南中学校開校
〔1962〕昭和37年 埼玉県立寄居高等学校開校
〔1964〕昭和39年 玉淀ダム完成

▽1965-
〔1967〕昭和42年 第22回国民体育大会(卓球)開催
〔1970〕昭和45年 桜沢小学校新校舎完成・移転
〔1973〕昭和48年 第1回産業祭開催
〔1974〕昭和49年 農免道路(鉢形~男衾)開通

▽時代の流れとともに発展
昭和50年代に入ると関越自動車道(東松山~前橋)や玉淀大橋が開通するなど、ライフラインの整備がさらに進みました。また、多くの公共施設が建設され、都市基盤の整備が進んだのもこの時期です。

▽1975-
〔1975〕昭和50年 寄居小学校新校舎完成
〔1976〕昭和51年 町史編さん事業開始
〔1980〕昭和55年 関越自動車道(東松山~前橋)開通国道140号、254号玉淀バイパス、玉淀大橋開通
〔1981〕昭和56年 中央公民館完成
〔1982〕昭和57年 総合社会福祉センターかわせみ荘完成 町民憲章制定
〔1983〕昭和58年 男衾コミュニティセンター完成 寄居橋上駅舎完成

▽1985-
〔1985〕昭和60年 風布川(ふうっぷがわ)・日本水(やまとみず)が環境庁から「全国名水百選」に認定
〔1986〕昭和61年 新寄居橋開通
〔1989〕平成元年 寄居中学校と用土中学校を統合し、新寄居中学校開校 町制施行100周年記念事業実施
〔1990〕平成2年 総合体育館・アタゴ記念館完成
〔1991〕平成3年 国道254号金勝山トンネル開通 日本の里風布館開館 全国水環境保全市町村シンポジウム開催
〔1994〕平成6年 役場新庁舎完成 城南中学校が鉢形城跡内から移転

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