文字サイズ
自治体の皆さまへ

今月のFujimist

43/44

埼玉県富士見市

■野田 雅也さん(報道写真家)

◇「まちに明かりが戻る日」を追い続けた11年
東日本大震災から13年。復興の記録を長年撮り続けているフォトジャーナリストがいる。市内在住の野田雅也さんが出版した写真集『造船記』は、優れた功績の写真家に贈られる土門拳賞の最終選考2点に選ばれた。
学生時代からバックパッカーとして40か国以上を旅し、貧困問題や紛争、災害などの社会問題を目の当たりにしてきた野田さん。「当時はインターネットも発達しておらず、国際情勢を知るすべが限られていました。弾圧を受けている人たちから『自分たちの現状を世界に伝えてほしい』とビデオテープを託されました。この想いに応えたい。これが僕の原点です」と語る。
2011年3月11日。都内にいた野田さんの目に、仙台空港に津波が押し寄せる映像が飛び込んだ。「かつて取材した2004年のスマトラ沖大地震の惨状が脳裏をよぎりました」。翌日にはカメラ片手に現地へ向かい、現状を収めていった。ひと月後に岩手県を再訪した際、大槌町の造船所で、まちの復興のために「やんねばなんねえ」と声をあわせる船大工たちに出会った。なかには家族や家を失った方もいる。「大きな余震が続く中でも、『このまち、この海とともに暮らしたい』との再建の想いに心を打たれました」。まちに暮らしの明かりが戻る日まで見届けようと決意し、懸命に生きる人々の軌跡を写真に記していった。

◇100年後の未来に伝えたい
「人の想いがつながることでまちがつくられると、取材を通じて実感しました」と語る野田さんは、たとえ、まちがなくなるとしても、人々の暮らし、地域の歴史を100年後に残していきたいと、今もなお福島などを撮り続けている。
「次男の燈嵩は、重度の障がいがあり特別支援学校に通っています。あたたかく迎え入れ、支えてくれるこのまちと人々に、とても感謝しています」と、まちへの想いを野田さんは語る。燈嵩くんの名には明かりで道を照らすという意味が込められている。明かりのあるところには必ず人がいる。野田さんの写真が、今後も多くの人と人とをつないでいく。

問合せ:秘書広報課
【電話】049-256-9535

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU