■あじさい祭り新作歌舞伎のモチーフ「安積艮斎の小鹿野碑」
今号表紙でも紹介している下小鹿野小鹿神社で行われたあじさい祭り新作歌舞伎「日本武尊の大蛇退治」、そのモチーフになったのは参道入り口ある「安積艮斎の小鹿野碑」(町指定史跡・昭和37年9月20日指定)です。
両神山は古くは「八日見山」といわれ、その由来を伝えるのがこの碑です。巨香郷と呼ばれた小鹿野・両神地域の美しい伝説を伝える石碑として知られ、
「日本武尊神詠 つくばねをはるかへだててやふかみし つまこひかぬるをしかのの原(筑波嶺を遙か隔てて八日見し妻恋いかぬる小鹿野の原)」
と刻まれ、裏面に碑を建てた由来が漢文で記されています。
これによると、安政6年(1859)下小鹿野村奈倉の森為美が日本武尊神詠の由来を伝えるため、江戸幕府が江戸湯島に開いた官立の学問所「昌平黌」の教官である安積艮斎(1791~1860)に撰文を依頼し、碑を建てたものといいます。同じ歌を刻んだ碑は河原沢の龍頭神社境内にも建てられています。
秩父地方には日本武尊に関する伝説が多く残されています。日本武尊は伝説上の人物で、景行天皇の命で東国の征伐におもむき、戦勝祈願のため常陸国筑波山に登りました。その折、西の方角に剣の形をした秀でた山が見え、この山を八日間眺めながら西へ向かい、秩父へたどりついたということから両神山は八日見山と名付けられたといいます。また、日本武尊が秩父に入る途中、道に迷った折、どこからか神鹿があらわれて一行の先頭に立って導いた後、小鹿野に至って精魂尽きて倒れたのでこれを哀れんで塚を作ったのが「小鹿塚」であるといいます。
今回の新作歌舞伎では、この伝説がわかりやすく取り上げられました。
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