■河岸で栄えた西関宿 浅間神社の奉納額・絵馬の優品
江戸時代、川船が着き、荷物を上げ下ろしする場所は「河岸(かし)」とよばれました。
そのような河岸の中で、市域には、幕府公認の河岸として権現堂河岸と関宿向河岸(せきやどむこうがし)がありました。このうち、幸手市の北東端にあたる大字西関宿にあったのが関宿向河岸です。
江戸時代、利根川や権現堂川、江戸川を利用した舟運の拠点であった関宿向河岸には、河岸問屋がいて、干鰯(ほしか)をはじめ、さまざまな荷物の積み下ろしを行いにぎわいました。
また、江戸川の最上流にあるため、流量を調整する棒出しや、川船や通行人の往来を監視する関宿関所も置かれた関宿向河岸は、物流の拠点であると同時に、治水の安定や治安の維持の面でも、大きな役割を担い、関宿第一の繁華な土地柄として栄えたのです。
江戸時代から近代に至る時代の移り変わりの中で、西関宿の様相は著しく変化してきましたが、神社や寺院には、昔日の面影を今に伝える文化財が残されています。
そうした文化財の中で、令和4年(2022)3月、西関宿に所在する浅間神社の奉納額・絵馬等の資料が、当市に一括寄贈されました。中には、『幸手町の絵馬』や『幸手市史』などの刊行物で、すでに紹介されたものもありますが、その多くが優品です。
現在、郷土資料館で開催中の特別展では、これらの資料の中から、関宿向河岸の景観を描きその歴史を伝えるもの、そして霊峰富士山を神として信仰する富士信仰を表すものを厳選して紹介しています。ぜひご覧ください。
関連事業として、関宿関所についての講演会を開催します。
問合せ:郷土資料館
【電話・FAX】47-2521
<この記事についてアンケートにご協力ください。>