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郷土を知り、郷土を愛する「志木市 歴史さんぽ」-執筆・協力 志木のまち案内人の会-

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埼玉県志木市

■第36回 大塚・柏町の水車
江戸中期から昭和初期にかけて、志木市域の野火止用水流域には、水車が11か所操業していました。本町の昭和新道交差点にある水車のモニュメントは、当時の面影を物語っています。
野火止用水は本町地区だけでなく、大塚や柏町地区にも支流が流れており、5か所の水車が操業していました。
(1)尾崎水車(西原ふれあい第三公園付近):明治初期頃、尾崎家が開設し、三代にわたり操業していたが、大正10年頃に廃業。
(2)坂下水車(柏町・坂下橋付近):大正初期に開設し、昭和8・9年頃、野火止用水の水量減少に伴い廃業。
(3)地蔵尊水車(中道地蔵尊付近):明治末期に精米用として開設し、大正末期に廃業。
(4)神明下水車(神明神社付近):明治初期に開設し、大正末期に廃業。
(5)小橋水車(柏町・旧字小橋付近):江戸末期頃に開設し、明治20年代は主に酒造米を精米していたが、明治末期に廃業。
明治30年代頃には、北口製粉同業組合(旧志木町近隣地域の水車操業者)が統一商標として、「富士岳印」を用い小麦粉の製造・販売を手掛けていました。
このように大塚・柏町地区には、多くの水車が操業していましたが、大正末期から昭和初期にかけて水車の姿は完全に消えてしまいました。
※主な依拠図書:神山健吉「引又の水車」(『郷土志木』3号・1974年)

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